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いま、小中学生はどんな雑誌を読んでいるか? 調査して分かった「いまどきの読まれ方」

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「セブンティーン 2017年05月号」(集英社)

 2016年末、雑誌の売り上げが41年ぶりに書籍を下回ったというニュースが出版界を駆けめぐった。雑誌の市場規模はピークだった1997年と比べると約46%にまで縮小しているという。こうした雑誌市場の低迷には、言うまでもなくスマホやインターネットの台頭が大きく影響している。なかでも、物心ついたときから当然のようにスマホがあったいまの小中高生は、当然のように情報はスマホでタダで手に入れるものと思っているのだ。

 そんな時代ではあるが、きちんと調査してみると、いまどきの小中高生たちにも意外とそれぞれのお気に入りの雑誌があることが分かってきた。その結果をよく見てみれば、これからの雑誌市場の行方が見えてくるかも……?

 どんなジャンルの雑誌を読むかは、その人がどの分野に一番関心を持っているかを如実に反映するもの。中高生に読んでいる雑誌を聞いてみると、一番多いジャンルはやはりファッション誌だった。
(以下、雑誌名、年齢、学年、性別、理由の順に掲載)

『Seventeeen』(集英社)17歳、高校2年生、女
「モデルがかわいいのと、それなりに流行は知っとかなきゃいけないし、周りも読んでるから買ってる。女子高生向けの雑誌のなかでは服の系統が着れそうな感じだし、メイクとかも載ってるから」

『Seventeen』 16歳、高校1年生、女
「主に高校生が対象の雑誌だから、載っている服が20代向けの雑誌より安くて手が出しやすいのが多かったり、学校に持って行くものも載っていて参考になる。人気のモデルも出ているし、雑誌の価格も安いから買ってる」

『ViVi』(講談社)17歳、高校2年生、女
「他の雑誌に比べて好きなテイストの洋服やモデルが出てるし、写真もキレイ。値段は安いとは思わないけど、ボリュームがあるから満足度高い」

『ViVi』18歳、高校3年生、女
「ハーフモデルが多くて他の雑誌よりかわいいし、海外のファッションも参考にしているのがいい。流行りに敏感で他の雑誌にはないスタイリングが載ってるし、エンタメ情報も豊富なのがいい」

 ファッション誌を参考にするのは女子高生だけではなく、その少し下の女子中学生の世代から始まっているので、その年齢層のコメントも見てみよう。

『nicola』(新潮社)12歳、中学1年生、女
「私は付録を見て雑誌を買うんですが、『nicola』が一番中学生向けのオシャレなアイテムが多いから好きです。あと、メイクの仕方や髪型の参考にもなる」

『Popteen』(角川春樹事務所)15歳、中学3年生、女
「ファッションが好きで買ってるけど、かわいくない読モを探して学校でネタにしてる(笑)。最初はママ(45)も読んでたけど、『最近のPopteenって全然エロくないのね』と言われてからは全然見なくなった」
どうやらママが女子中高生だったころは、「Popteen」は結構エッチな情報が載ってた雑誌だったようだ。

『Zipper』(祥伝社)14歳、中学2年生、女
「ママが買ってくれる。私がファッションに興味がないからだと思う。でも雑誌に出てくるモデルの女の子たちも全然かわいいと思わないし、男のモデルもなよなよしてキモい。おばあちゃんの部屋にある『美しいキモノ』(ハースト婦人画報社)とかのほうがよっぽど見てて勉強になる」

 いまどきの中学生の母親世代は90年代にコギャル文化を謳歌していた世代と重なっているわけで、母親が娘にファッション誌を読ませたがるのも時代の流れ。当の娘は着物雑誌のほうがお気に入りというのも面白い。

 このように、意外と読まれているファッション雑誌だが、決まった雑誌を毎号買うとなると少数派で、普段はネットで十分という声はやはり多い。そんな声も集めてみたので紹介しよう。

17歳、高校2年生、女
「雑誌はそんなに読まないし、毎号買ってるとかもない。普段は情報だけならネットで十分。お小遣いは月に7000円+携帯代、交通費別途で、雑誌はその7000円の中から買う」

 この女子高生はたまに雑誌を買う時は付録目当て。普段は出版社の公式インスタグラムを見て、いい付録があると分かったときだけ買っているのだとか。そして付録付きの雑誌を買ったら自分のインスタに乗せて友達に見せる。いまどきの中高生はSNSをベースに生活していて、ネットだけでは補完できないものがある場合にのみ雑誌を購入するのかもしれない。

 そんなデジタルネイティブの高校生が雑誌を購入する動機となるのが「知らない世界を見せてくれそう」という期待感。そんな傾向がわかるのがSEX特集で有名なこの雑誌。

16歳、高校1年生、女
「私が『anan』(マガジンハウス)を読み始めたのはちょうど1年前くらいのことです。最初は『こんな刺激の強いものはひとりでこっそり見よう』と思っていました。ただ、いざ読んでみると『anan』には“肝心”なところ……そんなに過激なものは載っていなかったので、今では友人たちと共に読んで、内容をネタにしておしゃべりしています。それまで強がって話せなかったことも、この雑誌を通してさらけ出せるようになりました」

 ページを開いてみると少々肩すかしだったらしい「anan」だが、自分をさらけ出すきっかけになったとはほほえましい。

 さらに年齢を下げて小学生が読む雑誌をヒアリングしてみると、やはりマンガがいまでも好まれているようだが、詳しく聞いてみると、最近の雑誌事情が垣間見えた。『絶体絶命でんぢゃらすじーさん邪』などのマンガが面白くて『別冊コロコロコミックSpecial』(小学館)を買っているという小学2年生男子が、なぜコロコロ本誌を買わないかというと、もらっているお小遣いでは毎月は買えないから。また、親が定期購読している『子供の科学』(誠文堂新光社)を読んでいる小学5年生男子は「ワンピース」が好きなのだが、単行本で最新刊を買うことで追いかけており、『週刊少年ジャンプ』(集英社)本誌は決して読まない。本誌をたまに見てしまうと話が先に進んでしまっているのが嫌なのだとか。親はジャンプを読まないと学校で「ワンピース」の話題についていけないのでは?と気にしたようだが、特に問題はないそうで、小学校でも「ワンピース」をジャンプ本誌で追いかけている子は少数派なのかもしれない。

 また、この「コロコロコミック」については、「幼稚園のころから約15年間にわたり読み続けてきました。もはや私の人生といっても過言ではありません」と熱いコメントを寄せる高校3年生男子もいて、その人気のほどが窺える。

 ほかには、「小さいときから科学や物理現象に興味があり、将来物理学者になりたいという夢があるので、『Newton』(ニュートンプレス)を読んでいます」という高校1年生男子や、「『大学への数学』(東京出版)は難易度の高い問題が多く、解くのがとても面白いです」という別の高校1年生男子などもいるが、お勉強系に限らず、ニッチな趣味を深めていくには、今でも雑誌は有用なツールであるようで、次のような声もあがっている。

『月刊Goods Press』(徳間書店)13歳、中学1年生、男
「プラモデルやフィギュア、車、電車など、僕の興味にあったものを取り上げているので読むようになりました。何より、同じ趣味を持つ大人たちはどんな意見を持っているのかを知ることができて面白いです」

『電撃G’s magazine』(KADOKAWAアスキー・メディアワークス)17歳、高校1年、男
「最新のアニメやゲームの情報が載っているので購読しています。自分の好きなアニメが特集を組まれていると嬉しいし、ゲームで使える秘密コードが入っている付録を目当てに買うことも多いです」

『アサヒカメラ』(朝日新聞出版)17歳、高校3年生、男
「たくさんの人が撮った写真を見ることができる。写真集は個人の意識に強く染まっているけど、この雑誌ではいまの流行やコンクールの批評などを幅広く知ることができて、とても参考になります」

 雑誌の世界には、まだまだネットだけでは知ることのできない情報がたくさん隠れている。実は、イマドキの中高生もちゃんとそのことを分かっているのかもしれない。そのことに気付き始めた彼らを読者としてちゃんとつなぎとめておくには、雑誌の作り手側にも飽くなき探究心が求められているのは言うまでもない。さて、ネットでこれを読んでいる読者の皆さんは、「まだまだ雑誌も捨てたもんじゃない」と思えただろうか?

羽生結弦、宇野昌磨、ボーヤン・ジンの「切り開いた世界」を考えてみた/スケオタエッセイスト・高山真が見たフィギュアスケート世界選手権

――女性向けメディアを中心に活躍するエッセイスト・高山真が、世にあふれる”アイドル”を考察する。超刺激的カルチャー論。

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「FujiTV Skating Club」より

 とんでもないものを見ちゃった…。フィギュアスケートの世界選手権、男子の最終グループをテレビで観戦したあと、私は朝まで眠れなくなってしまいました。すべての選手について、書きたいことが山ほどあるのですが、涙を飲んで、3位までの選手について、絞って絞って書いてみたいと思います。

●ボーヤン・ジン
 前回のエッセイで、私は「今シーズン、いい意味でいちばん驚いているのはボーヤン・ジン」と書きました。その理由は、これに尽きます。

「ボーヤン・ジンが、演技を覚えた」

 昨シーズンまでのボーヤン・ジンを「音楽に合わせて体を動かしている」とするなら、今シーズンは「曲の世界観に沿った振り付けをこなし、物語の登場人物を演じている」という感じ。曲がかかっている時間のほとんどで、昨シーズンの段階ではボーヤンの中に存在しなかった「スイッチ」を、ずっとオンにしたままで滑っているのが明確に見て取れたのです。中国杯のショート『スパイダーマン』を見たときは、あまりの驚きにうなってしまったほどです。

 もちろん、そういうことをもっと上手におこなう選手は何人もいます。が、フィギュアスケートに限らず、難しいことを身につけるときは何だっていつだってそうですが、「5を10にする」よりも「0を1にする」ほうがはるかに難しい。「0を1にする」感覚をものにしたボーヤンが、ここからますます伸びていくかと思うと、本当に楽しみです。

 そうそう、フリーの4回転ルッツ! 空中での高さと幅、回転の軸の確かさ、着氷後のストレスのない流れ、どれをとっても歴代ナンバーワンの凄まじいものでした。思わず変な声が出てしまったほどです。

●宇野昌磨
 去年の世界選手権のフリーで、宇野昌磨がプログラムに組み入れていた4回転は、2つのトゥループでした。今回の世界選手権のフリーでは、それに加え、より難易度の高いフリップとループを1度ずつ、合計4つの4回転を入れて、すべて成功。この成長のスピードはちょっとありえないくらい、すごい。

 しかも、トゥループは言うに及ばず、四大陸選手権から組み入れたループですら、明確なステップからジャンプに入るという、難しいことにチャレンジしているわけです。

 ループとフリップの着氷は、ややこらえた形になりましたが、それも、「腕の広げ方」と「体幹の引き締め方」と「ひざの強靭かつ柔軟なクッション」、その3つを瞬間的にブレンドすることでカバーしていました。その反応の速さも素晴らしい! あそこでステップアウトしなかった「強さ」は特筆すべきものだと思います。

 加えて、トリプルアクセルのクオリティの飛躍的な向上にも驚くばかり。ショートプログラムで、インサイドのイーグルからただちに跳んだ、目が覚めるほどの高さと大きさのアクセルは、着氷後すぐにクリムキンイーグルへとつなげる一連の流れまでも見事! フリーの2本のトリプルアクセルは、どちらもコンビネーション(またはシークエンス)の1つ目として跳んだジャンプですが、どちらもまったくストレスのない見事な着氷で、あとに続けたジャンプも非の打ちどころのないものでした。

 昨年10月のスケートアメリカのことを書いたとき、私は宇野について、こんなことを書いています。

・・・
「ブエノスアイレス午前零時」や「ロコへのバラード」は、「リベルタンゴ」や「アディオス・ノニーノ」以上に「踊り」に主眼を置いていない曲です。語弊を恐れずに言えば、ホールやジャズクラブなどで聴くためのタンゴであって、踊るためのタンゴではない。その曲をバックに、10代の選手が、あれだけの世界観を身体で表現していくのですから驚くばかり。曲のいちばんの「踊りどころ」でステップシークエンスに入るのですが、上体の動きの精緻さと、音符ひとつひとつにエッジワークをからめていく見事さには、思わずため息がもれてしまいました。
・・・

 今回も健在だったそのミュージカリティですが、それに加え、スケーティングの一歩一歩が、10月のスケートアメリカと比べてもはっきりわかるほど大きくなっていたことにビックリ。それが、プログラム全体にさらなる成熟を加味していました。宇野昌磨はまだ19歳。ほんと、どうなっているんでしょうね(いい意味で)。

●羽生結弦
 完璧…。

 男子フリーの最終グループは、最初の選手が羽生結弦でした。で、羽生の演技が終わるちょっと前あたりで、私は「今夜はもう眠ることをあきらめよう」と早々に決めてしまったのです。

 フリーに4回組み入れた4回転ジャンプが成功したこと自体は、たぶんさまざまなテレビや新聞などで語りつくされているでしょうから、私は違う角度から語ってみようかと。

 前回のエッセイで、私は羽生結弦について、こんなことを書きました。

・・・
「イン・アウト」と「フォア・バック」のエッジを組み合わせて、「右足・左足」のどちらか片方の足で滑っていく、この8種類の組み合わせの密度がとんでもない選手だなあ、と、羽生結弦の演技を見るたびに思います。「プログラム全編にわたって、なんらかのステップを踏み続けている」というのが、大げさな表現ではないのです。
・・・

 で、羽生のショートプログラムのツボを書いたのですが、今回は、フリーに関しての「私のツボ」を書いてみたいと思います。わかりやすくするため、エレメンツの実施順に記していきましょう(物書きとしての力不足を棚上げ。ほほほ)。

●スタート時、音楽が鳴り始めて7~8秒後あたり。ターンからフォア(前向き)になった瞬間。左足・フォアのインサイドエッジで美しいカーブを描きつつ、右足は「スライド」している。要するに、左右の足でまったく違うことをやっているわけです。

「スライド」は、女子選手がスパイラルを実施中におこなっているのが、例としてはわかりやすいかも。伊藤みどりのアルベールビルシーズンのショートプログラムでのスパイラルや、浅田真央の2005年グランプリファイナルのフリーのI字スパイラルなど。エフゲニア・メドベージェワのI字スパイラルの定番でもありますね。

●4回転ループの直前、本来のエントランスのトレースを裏切るかのように、左足を体の内側に(というか、ほとんど体の右端まで)アウトエッジでグッと踏み込んでから、右足バックアウトエッジに踏みかえ、ジャンプを跳んでいる。

●4回転ループの着氷後、フォア(前向き)のエッジで大きなカーブを描き、ターンをはさんでバック(後ろ向き)のエッジになってから。

左足のバックエッジを、インからアウトへと、スムーズにチェンジエッジさせてから、なめらかな右足のバックインに一瞬だけ踏み替え。さらに、すぐに左足に踏み替えたあとフォアエッジに切り替えて、即座にフォアのアウトからインへとチェンジエッジさせている。3秒足らずのトランジションの中に、これだけのエッジの切り替えと足の踏みかえが非常にスムーズにおこなわれている。で、一歩一歩の距離の出方もとんでもない。

●単独の4回転サルコーに入るまでの、トランジションの距離の長さ!

●ステップシークエンスは見どころが多すぎるのですが、絞りに絞って、2カ所だけ。
【1】「上体の動きにバラエティをつけること」は、レベルをとるための条件のひとつですが、その要求を「ひざを曲げたイーグル(ベスティスクワットイーグル)」で満たせる。このイーグルの前後にも、まったく隙間なくステップが入っているのに…。
【2】「片足で種類の異なるステップを踏み続けていくこと」も、レベルをとるための条件のひとつなのですが、よりにもよって(笑)、それを「インサイドのイナバウアー」と「インサイドのイーグル」、2つのムーブズ・イン・ザ・フィールドの中にサンドイッチしている。

●トリプルフリップの前後のステップの見事さ。ジャンプ自体も、「ターンの一部」のようなエアリー感で実施されている。

●リンクの横幅をほぼいっぱいに使った、4回転のトゥループのエントランスのステップ。

●トリプルアクセルのための漕ぎが、ますます少なくなっている。かつ、2回目のトリプルアクセルは、時計回りのターン(羽生の本来の回転方向とは逆の回転になります。ジャンプの回転の勢いを、跳ぶ前にガッツリ削っているわけです)を入れたあとで跳び、トリプルサルコウまでのシークエンスを跳ぶ。この、何度見ても意味がわからない一連のムーブは、去年のフリー『SEIMEI』でもおこなっていましたが、今回は、サルコウの着氷後にイーグルを入れて、さらにブラッシュアップされたトランジションになっている。

●コレオシークエンスから、絞って絞って、1カ所。ハイドロブレーディングは、昨シーズンの『SEIMEI』でも素晴らしいインパクトを残していますが、今シーズンは、直前にターンを入れてから実施している。で、ハイドロブレーディングが終わった直後の一歩目、左足のフォアアウトエッジが、昨シーズンより深く明確になっている。そのあと、ターンに入るまでの時間が昨シーズンよりさらに短くなったうえ、イーグルまでプラスされている。

●最後のジャンプのトリプルルッツが、レイバックイナバウアーから続くステップの中で実施されている。

 で、ショートプログラムと同様、クオリティも密度も高いこうしたエッジワークのほとんどが、4分30秒の間シームレスに実施され、かつ、曲の音符とぴったりとリンクし、フリーの曲『Hope & Legacy』の雰囲気そのものである「ドラマティックなのに、静謐」なイメージともリンクしているわけです。眼福でした。

 さて、メディアはもう、来年の平昌オリンピックのことをあれこれ言っていることでしょう。私ももちろん楽しみで仕方がないのですが、その前に、選手にこれ以上のケガがありませんように、と切に願っています。

「宮原知子、疲労骨折により欠場」のニュースにはまだ胸が痛んでいますし、羽生結弦も昨年の今ごろ、全治2カ月の靭帯損傷を抱えていました。宇野昌磨も、今シーズンの驚異的な伸びを喜ぶ気持ちはもちろんありますが、それでも、昨年終盤からの試合スケジュールは過密すぎる。もっと言ってしまえば、残酷すぎると私は思っています。選手たちが自分の限界を超えたくて無茶をしてしまうのは、アスリートの常でもあるから仕方がない部分もある。だからこそ、スケート連盟が、コーチたちと密接に連携をとりつつ、万全のバックアップをしてあげてほしい。それが、平昌オリンピックでの選手たちの順位や出来栄え以上に、私が望んでいることなのです。

高山真(たかやままこと)
男女に対する鋭い観察眼と考察を、愛情あふれる筆致で表現するエッセイスト。女性ファッション誌『Oggi』(小学館)で10年以上にわたって読者からのお悩みに答える長寿連載が、『恋愛がらみ。 ~不器用スパイラルからの脱出法、教えちゃうわ』(小学館)という題名で書籍化。人気コラムニスト、ジェーン・スー氏の「知的ゲイは悩める女の共有財産」との絶賛どおり、恋や人生に悩む多くの女性から熱烈な支持を集める。月刊文芸誌『小説すばる』(集英社)でも連載中。

ツアー日程までついに小出しに… 話題作りの“ネタ”すら尽きた浜崎あゆみ

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「ayumi hamasaki official website」より

 歌手の浜崎あゆみが3月24日、5月からスタートする全国ツアーの日程を公式サイトで発表した。

 以前、同サイトで「浜崎あゆみ史上最多の全60公演」、「年を跨いでのロングツアーになる」と発表していたが、同日発表されたのは「第一弾となる15公演分の日程」。

 5月13日、14日の横浜アリーナ公演、6月17日、18日の東京・国立代々木競技場第一体育館公演、7月15日から17日の大坂城ホール公演、9月11日、12日の地元・福岡の福岡サンパレスホール公演などでの公演だが、かつてドーム公演を連発していたころに比べると会場の規模が大幅に縮小してしまった。

 今後、残る45公演の日程も発表するというが、「ツアー日程の解禁は日付けの早い順になっておりません」と注意書き。さらには、「第2弾、第3弾の発表に今回の第1弾よりも早い日付けの本番日が入ってくる事もありますので予めご了承下さいませ」と説明。そのため、ネット上では「ややこしい」、「初日がいつか分からない」、「予定を決めにくい」などファンから不満の声が多数あがっているのだ。

「かつては所属レコード会社・エイベックスの看板だった浜崎だが、今や社内でもすっかり“オワコン”扱い。そのため、ろくにPR活動も行われず、公式サイトの運営も側近任せのようだ。そこで、知恵を振りぼって出て来たのがツアー日程の“小出し”だったが、あまりにも不評。チケット代金はアリーナの会場が9400円(税込み、以下同)、ホール会場は8800円で、『複数公演をお申込した場合すべての公演が当選する可能性もございます』とわざわざ申し込みの“倍率”の低さを露呈させるような注意書きが書かれているが、もはや主要都市の公演以外はチケットがまったく売れなくなってしまった」(レコード会社関係者)

 14年にはおおみそかの紅白歌合戦への出場辞退を自ら発表。その後、シンガポールへ拠点を移す、との報道もあったが、何事もなかったように日本で再活動。昨年9月には、3年間の結婚生活を送った10歳年下の米国人男性との離婚を発表した。

「このところ、もっぱら、浜崎が話題になるのはツイッターでの書き込みばかり。それも、いわゆる“かまってちゃん”のような書き込みや自撮りショットなどで、すでに飽きられてしまい話題にすらならなくなってしまった。今後は新しい男ができた時ぐらいしか話題にならないのでは」(芸能デスク)

 かつてはレコード大賞3連覇を果たし、わが世の春を謳歌した浜崎だが、このままだと音楽界で再浮上するのは難しそうだ。 

【磯部涼/川崎】双子の不良が歌う川崎の痛みと未来

日本有数の工業都市・川崎はさまざまな顔を持っている。ギラつく繁華街、多文化コミュニティ、ラップ・シーン――。俊鋭の音楽ライター・磯部涼が、その地の知られざる風景をレポートし、ひいては現代ニッポンのダークサイドとその中の光を描出するルポルタージュ。

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2016年末、クラブチッタでワンマン・ライヴを行ったBAD HOP。

 少年は必死に手を伸ばした。スマートフォンのスクリーンの中では、男がマイクを握って、ステージから満員のフロアに語りかけている。少年にとって彼は憧れであり、救いを与えてくれる存在だった。しかし、少年は最前列にいるにもかかわらず、耳もとで発せられる少女たちの叫び声のせいで話の内容を聞き取ることができない。せめてシャッターを押そうとするものの、もみくちゃになってピントが合わない。

 そのとき、突然、少年の手からスマートフォンが奪われた。はっとして顔を上げると、壇上から伸ばされた刺青だらけの腕が、そして、キャップの下でいたずらっぽく笑う顔が目に映った。男はくるりと背を向けるとスマートフォンを掲げ、それをまた少年に返した。スクリーンを覗き込めば、カメラを見つめる男の写真が表示されており、後ろを埋め尽くす若者たちの中に、ぽかんとした少年もいた。

 少年は宝物をもらったかのようにスマートフォンを両手で包み込んだ。歓声を掻き消すように重低音が鳴り響き、次の歌が始まる。

 Rap My Pain Away
 過去の痛みごと俺なら歌にして
 Rap My Pain Away
 歌ってくよお前らの痛みまで
 Rap My Pain Away
 背負った過去の数だけ未来はある
 Rap My Pain Away
 どんな場所でも必ず光が射す 
     (2WIN「PAIN AWAY」より)

中学のヤンキー専用教室にいたT-PABLOWとYZERR

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中学時代にたむろしていた公園で談笑するT-PABLOWとYZERR。

 2016年12月13日、川崎駅前に立つキャパシティ1300人規模のライヴハウス〈クラブチッタ〉にて、インディの、しかも新人のラップ・グループとしては前代未聞となるワンマン・ライブを成功させたBAD HOP。だが、その1カ月後、グループのリーダーを務める双子のデュオ、2WINの片割れであるYZERRは悔しそうに言った。

「正直、客は思っていたより入らなかったですね。もちろん、見た感じは満員でしたけど、やっぱり、入場規制をかけたかったなって」

 一方、兄のT-PABLOWは穏やかに言う。

「まぁ、これからですよ」

 ここは、2人が通っていた川崎市立川中島中学校の目の前にある藤崎第2公園。午後の早い時間で、まだ授業は続いているはずだが、2人がいると知った生徒たちが学校を抜け出し、遠巻きに様子をうかがっている。すると、そこに女性教師がやってきた。

「あの子たちに戻るように言ってよ。君たちの言うことだったら聞くから」   

 T-PABLOWは照れ臭そうに笑った後、息を吸って叫んだ。静かな住宅街に、日本で今もっとも注目を集める21歳のラッパーの声が響き渡る。

「お前ら、勉強しろ!」

 ただし、2人にしても真面目に勉強をするような子どもではなかったという。

T-PABLOW(以下、T)「勉強なんて小2からしてないですよ」

YZERR(以下、Y)「オレなんか、最近、居酒屋で割り算の使い方を知りましたからね。割り勘のときに、『あ、そういうこと?』みたいな」

T「国語は強かった。作文のコンクールで3回くらい最優秀賞を取ってる」

 ちなみに、そこで教科書となったのはマンガである。

T「読書の宿題もマンガで済ませてました。特にヤンキーものには影響されましたね。小3で『クローズ』(高橋ヒロシ、秋田書店)にハマって、学校で抗争みたいなことをするようになって。それも、黒板の角に相手の頭を打ちつけて血がバーッと出て7針縫ったりとか、かなり本気の」

Y「で、校内では物足りなくなって、他校を順番に潰していったり。雑魚ばっかりで余裕だった」

 やがて、中学生になった2WINは、いよいよ、学校という枠に収まりきらなくなっていく。

T「格好は完全にヤンキーでしたね。ニグロ・パーマをかけて、制服は上着が超長ランで、中にタートルネックを着て、エナメルベルトをつけて」

Y「オレは短ランにボンタンで」

T「タバコ吸って。真面目なヤツはこの公園で吸うんですけど、オレらは校内を吸いながら歩いてました。先生とすれ違って『ういーっす』みたいな」

Y「最終的には、専用の教室がつくられて、『暴れるぐらいなら、ここにいろ』って話に」

T「テレビがあってソファがあってクーラーがあって、『最高じゃん』って。でも、見張りの先生にフザけてプロレス技をかけたら、被害届を出され、集団リンチ事件化して、学校に居場所がなくなった」

Y「ただ、当時は教師もクズばっかりでしたからね。オレらをねちねち注意しておいて、家庭訪問に行った先で14歳の女子生徒に手を出したりだとか。隠してたけど、子どもはみんな知ってる話だった」

ヤクザが天職だと思っていた少年が「高校生RAP選手権」で優勝した

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ラッパーとして全国的に知られるようになったT-PABLOWとYZERRは、地元の中学生の間でスターとなっている。

 一方で、2WINと仲間たちは、地元の年上の不良からカンパという名目でもって、上納金を数十万円単位で徴集されていた。それを賄うため強盗を繰り返し、中学3年生時に集団逮捕、ニュースとなる。そして、少年院から出た後は、周囲が受験勉強をする中、さすがに将来のことを考え始めるが、彼らが進路として選んだのは、川崎の不良少年の定番である職人ではなく、むしろ不良を極めること……つまり、ヤクザだった。

T「中3のとき、先輩に『オレ、卒業したらその道に進むんで』って言い切っちゃってましたからね」

Y「『若いからお前らはダメだよ』『じゃあ、ハタチになったらお願いします』みたいな」

T「もともと、その筋の人が身近な存在だったんですよ」

Y「小学校のとき、プリントの『将来の夢は?』って欄に『ヤクザ』って書いた友達がいて。『それはねぇだろ』『じゃあ、金持ち』、みたいなやり取りをする土地に育ったんで。中学に入ってからも、暴走族をやって、ギャングをやって、そうしたら、次はそっちでしょうっていう。普通に育ったヤツが普通に高校に行くのと同じ感覚。そもそも、オレは卒業のタイミングでも逮捕されてたから、選択肢がなかった」

T「ずっとむしゃくしゃしてたというか、自分の人生、そういう道でいいやと思ってたし」

Y「開き直ってたよな。これより最悪になることはないだろうって」

T「あと、そのときはそれが天職だと感じてたんですよ。性格にも合ってた」

Y「もし本当になったとしたら、お前のほうが成功してたよ。オレの場合、つっぱっちゃってすぐにパクられそう。お前は人をまとめ上げるのもうまいし」

T「ただ、進路を聞かれたときに“ラッパー”とも答えてたんですよ。別に本当になりたかったわけではなく、『いつかラッパーになって、経験したことを歌ってやるぜ。だから、今は無駄じゃないんだ』って、自分がやってることを正当化するために」

 2WINと仲間たちがラップを始めたのも、もともとは、年上の不良から「向こう(アメリカ)のギャングはラップをやってるんだから、お前らもやれよ」と半ば命令されたことがきっかけだった。また、彼らはその流れで“BAD HOP”というクラブ・イベントを仕切る任務を与えられる。しかし、当初は仕事だったはずが、T-PABLOWはだんだんとラップにのめり込んでいったのだった。

T「働いてたバーを閉めたあと、朝まで延々とフリースタイルをやってましたね。その後、『高校生RAP選手権』出場の話も先輩から来たんですけど、優勝したときはうれしかったというより、びっくりした。『え、オレでいいの?』って。生まれて初めて、真面目なことをやって認められたので」

Y「で、たまたま、『高校生RAP選手権』で顔を知られたがために、不良の道をドロップアウトすることになった。メディアに出た人間がそっちに進んでも説得力がないじゃないですか。だから、あの番組がなかったら、今頃は本職になってたと思う」

 ところで、公園を出て、近所のなんの変哲もない中華料理店に入ったときのことだ。曇りガラスのドアを開けて店内に入った瞬間、先客を確認する2WINの表情は、地元にいるにもかかわらずまったくリラックスしていないように見えた。

T「こういう店にも不良のヤツらがいたりするんですよ。そうすると、ちょっと勘ぐっちゃうというか、身構えちゃいますよね」

Y「若いヤツらの中には、オレらが有名になったことを妬んでるヤツもいるし。川崎がほかと違うのは、すぐに手を出してくるところ。東京だとまず掛け合いがあるじゃないですか。川崎はまず殴ってくるから、気を抜けない」

T「常に最低のことをイメージしてるんです。マンションの前で溜まってて、真面目そうな人に『どいて』と言われても無視してたら、若い衆を連れてきたりとか。『やべぇ、侮った』っていうことも経験してますし」

Y「オレら、初対面のときは、明らかな年下にも敬語を使うんです。それは礼儀正しい人間でいたいっていうのもあるんですけど、なによりも最低なことをイメージしてるから」

 2WINがそういった川崎の、外の世界を初めて知ったのが『高校生RAP選手権』だった。その数年前、YZERRは深刻な少年犯罪者が入ることになる、いわゆる医療少年院で、カウンセラーから生活環境の特殊性を指摘されたという。

Y「その先生は、酒鬼薔薇(聖斗)のカウンセリングもやってたみたいなんですね。オレは14歳で2回目の少年院だったんですけど、『それって、確率でいうと東大に入るよりもスゴい。エリート・ヤンキーだよ、君は』と言われて。で、過去の経験を説明したら、『本当に偏った世界で生きてきたんだね。おかしいということに早く気づいたほうがいい。洗脳されてるのに近い状態だ』と。そのときに初めて、川崎って普通とは違う街なんだとわかったんです」

 では、彼らを育てた家庭はどんなところだったのだろうか? 時計の針を戻そう。

家族で食卓を囲んだことがない双子の貧しく悲しい幼少時代

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BAD HOPを率いる双子の兄弟、T-PABLOW(右)とYZERR(左)は、2WINというユニットでも活動する。

 95年11月、T-PABLOWこと岩瀬達哉とYZERRこと岩瀬雄哉は、川崎区の大気汚染の要因といわれる産業道路沿いの街、池上新町で生まれている。そして、双子の物心がつく頃には、家庭は困窮のただ中にあったという。

Y「プールに行っても、数百円の入場料もないからってオレとパブロだけ入ってましたからね。おふくろは外で待っていて」

T「いまだに忘れられないのが、サンタに『靴下をください』って手紙を書いたんです。サッカーのとき、ボロボロで恥ずかしかったから。そうしたら、読んだおふくろが『買ってあげられなくて、ごめんね』って泣きながら外に飛び出してしまって。その日は帰ってこなくて、夕飯抜き。謝らなくていいから、メシつくってくれよって思いましたよね」

 貧困の呼び水となったのは、父親が抱えた借金だった。内装業を営んでいた彼は、親会社の倒産により優に億を超える額を返済しなければいけなくなり、いわゆる闇金融にも手を出した。

Y「学校から帰ってくると、留守番電話のサインが点滅してるんで押したら、『てめぇ、詐欺師! このやろう、金返せ!』って怒鳴り声が再生されるとか日常茶飯事でした。ヒドいときは取り立て屋が家に土足で上がり込んできて、母親が土下座しているところをビデオカメラで撮ったり」

T「親父は根はいい人。でも、運が悪くて借金をつかまされた。しかも、ヘルニアで働けなくなっちゃって。代わりに、おふくろが昼間は掃除、夜は工場のバイトをして家計を支えてたんですけど、だんだん、精神的におかしくなり。何回も自殺未遂を起こしてました」

 そして、家族は崩壊していく。

T「『サザエさん』とか違和感、ハンパなかったですよ。オレら、家族で食卓囲んでメシ食ったことなんてないですもん」

Y「でも、周りも貧乏なヤツが多かった。BARK(BAD HOP)なんか池上町の1DKに5人で住んでたんですけど、あいつの家は笑いが絶えなくて。だから、BARKは貧乏を大してツラいとも思ってない。その心の余裕がウチにはなかった」

T「そのうち、親父は家を出て、車検が切れたワゴンカーで生活するようになって。おふくろは、真っ暗な部屋でずっとブツブツ言っていて。オレらも家に帰りたくないから、遊び歩くようになりました」

 気づけば、岩瀬兄弟は立派な不良になっていた。

Y「当時は親父のことも、おふくろのことも、めちゃくちゃ恨んでましたね。『こんな家庭で育ったんだから、不良になっても文句言えねぇよな?』って。『ヒドい環境で育っても、立派になった人はいる』みたいな説教をする人がいるじゃないですか。何もわかってねぇなと思います」

T「例えば、友達に母親がシャブ中の売春婦で、家で客と寝てるところを見ながら育ったヤツがいるんですよ。しかも、ずっと、虐待されてて、後から、自分が父親とは血がつながってない、客との間にデキた子どもだとわかって」

Y「そいつとか救ってあげたいけど、もはや、性格がねじ曲がっちゃって直らないんですよ。でも、そんな環境で育ってきたヤツを責められますかね?」

「Pain, Pain, Go Away(痛いの痛いの飛んでいけ)」。両親にそう言ってもらえなかった少年は、しかし、「Pain Away」と自分でラップをすることによって、その痛みを治癒したのだ。

T「『高校生RAP選手権』の第1回で優勝して、それでもいろいろ大変で。1年後にようやくしがらみがなくなって、第4回でもう1回優勝できたときに、ばあちゃんが泣いてた。『ヤクザになると思ってたから、よかった』って」

Y「『お前らより背負ってるものが大きい出場者なんていないから、大丈夫だよ』と言ってくれてたもんな」

T「それと、今になれば親父もおふくろもかわいそうだったなって思うんですよ」

Y「おふくろは芸術の才能があるっていうか、絵がうまいし、感覚もオシャレで。そういうところは受け継いでるのかもしれない。親父からもらったものは……あんなにヒドい目に遭っても死のうとしない図太さかな」

 YZERRはニヤリとする。2WINにとって過去は笑い話になりつつあるのだ。それよりも興味があるのは未来のこと。ミックステープとワンマン・ライヴをフリーで提供した16年が投資期間なら、17年は回収期間にする。年内中にランボルギーニを購入したいが、その前に免許を取らなければ。夢は膨らむばかりだ。そして、T-PABLOWは若いうちにラッパーを引退し、ビジネスに挑戦したいと言う。果たして、そのとき、彼らは川崎に住んでいるのだろうか?

T「結婚してるだろうし、奥さん次第かな」

Y「オレは海外に移住してると思う」

T「BAD HOPのみんなで沖縄に住もうっていう話もあったな。でも、もうちょっと川崎かな。サボるから。沖縄に行ったら環境が良すぎてリリックを書かなくなりそう」

Y「あと、オレ、川崎で子ども向けの無料の“塾”を開きたい」

T「タダでゴハンが食べられて、タダでレコーディングができて」

Y「オレらがプロデュースするから、スゴいシャレたつくりになりますよ」

 2人の活き活きとした話しぶりが、場末の中華料理店を未来の川崎に変えた。そこには、眩しい光が差していた。(おわり)

(写真/細倉真弓)

※本連載「川崎」は、今夏、大幅な加筆の上でサイゾーより単行本化予定。

磯部涼(いそべ・りょう)
1978年生まれ。音楽ライター。主にマイナー音楽や、それらと社会とのかかわりについて執筆。著書に『音楽が終わって、人生が始まる』(アスペクト)、 編著に『踊ってはいけない国、日本』(河出書房新社)、『新しい音楽とことば』(スペースシャワーネットワーク)などがある。

兄ちゃんリスペクト!フロリダをひっかき回した悪童兄弟、その固い絆

――犯罪大国アメリカにおいて、罪の内実を詳らかにする「トゥルー・クライム(実録犯罪物)」は人気コンテンツのひとつ。犯罪者の顔も声もばんばんメディアに登場し、裁判の一部始終すら報道され、人々はそれらをどう思ったか、井戸端会議で口端に上らせる。いったい何がそこまで関心を集めているのか? アメリカ在住のTVディレクターが、凄惨すぎる事件からおマヌケ事件まで、アメリカの茶の間を賑わせたトゥルー・クライムの中身から、彼の国のもうひとつの顔を案内する。

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 2008年6月、住宅街に逃げ込んだマーヴィリック・マーヘルは焦っていた。何せ上空には彼を追うヘリコプターが飛んでおり、警察官が町中を徘徊している状態であったからだ。窃盗の常習犯であった彼は、逮捕へのカウントダウンの中、一つだけ気がかりなことがあった。それは、いつも傍にいてくれた兄の存在だった。

兄への尊敬から、不良の道へ

 1999年、フロリダ州パームビーチ郡郊外で暮らしていたマーヴィリック(当時17歳)は兄のことが大好きだった。地元で有名な不良少年であった4歳年上の兄マークは、10代の頃から少年院の常連であり、その反抗的な姿勢は親も愛想を尽かすほど。だがマーヴィリックは、面倒見が良くていろいろなことを教えてくれた兄を、誰よりも信頼していた。

 マーヴィリックが兄と夜遊びをするようになって特に好きだったのは、夜中の小学校に忍び込むことだった。静まり返った校庭でバカ騒ぎをし、持参した銃で校舎の窓を割りまくるのだ。

「兄ちゃんはインテリジェントで洗練された男だぜ」

 退屈な町で過ごすマーヴィリックにとって、少しだけエキサイティングな瞬間を見せてくれる兄は、本気で尊敬する存在だった。 

 やがて、兄弟の“危険な遊び”はエスカレート。ビールとマリファナでいい気分になると、目先の金を求めて留守宅や車などを狙って窃盗を繰り返すようになる。見かねた母親は、悪さばかりする2人を引き離そうと試みたが、兄弟の絆は固く、決して離れることはなかった。社会からのはみ出し者だったマークにとっても、唯一の理解者であった弟の存在は大きく、彼の暴走を助長する特別な燃料となっていた。 そんな“混ぜるな危険状態”の2人は、これまでにない大きな窃盗をすることとなる。

 同年6月、いつも通り車で町を流していると、2人は軍の物資を積んだバンを発見。バンの中にはありとあらゆる武器が積んであった。以前から軍隊への憧れを口にしていたマークにとって、それは宝の山だった。バンをこじ開けると、車内に積んであった武器を手あたり次第盗み始めたのだ。

マーク軍結成! 窃盗犯育成ブートキャンプ

 大量の武器を盗むことに成功した2人は、高揚感に満ちていた。マークは地元の若い不良少年達を集め、自らの軍隊を結成。人里離れた森の中にキャンプを作って射撃の練習や体力作りに励み、独自のサバイバル術を猛特訓した。集まった不良少年たちは、現実離れしたこのブートキャンプを大いに楽しんだが、マークとマーヴィリックはマジだった。2人は、不良少年を厳しい訓練にさらし、マーク軍を作り上げる。すべては窃盗のためなのだが……。

 彼らは本物の軍隊が所有するライフル銃で武装し、留守宅を襲いまくる。盗んだ品は彼らのアジトに持ち帰り、祝杯を挙げては次のターゲットを決める作戦会議を開いた。

 だが、さすがに派手すぎる彼らの犯行に警察も黙ってはいなかった。捜査に乗り出した警察の動きを野生の勘で察知したマークとマーヴィリックは、仲間の家を転々とする逃亡生活を開始。しかし、彼らをよく思わない密告者の通報によって、あっけなく逮捕されてしまう。警察の捜査では、約30件の窃盗事件に関与していたという2人。主犯格のマークに対しては、長期刑が課される可能性もあり、とうとう兄弟の悪事も終わりかと思われた。しかし2人には作戦があった。まだ17歳であったマーヴィリックは、成人であった兄の為にほとんどの罪を被ったのだ。これにより、マーヴィリックは懲役3年6カ月、マークは1年にも満たない刑となる。兄へのリスペクトを忘れないマーヴィリック。兄弟愛は確固たるものだったのだ。

弟への恩返しは脱走の手引き

 翌年、弟の粋な計らいによって先に出所したマークは、弟への恩返しを考えていた。すでに警備の甘い矯正施設へと移送されていたマーヴィリックもまた、その機会を待っていた。2人の希望は、脱走からの海外逃亡。この型破りな計画はすぐに実行された。マーヴィリックは違法に手に入れた携帯電話で兄と連絡を取り、脱走の準備を始める。

 4月1日、マーヴィリックは職員の隙を突き、堂々と表玄関から脱走。車で待っていた兄と合流し、まんまと脱走を成功させたのだ。職員がマーヴィリックの脱走に気が付いた時は時すでに遅し、彼のベッドには置手紙が残されていた。

「良いエイプリルフールを! 愛を込めて、マーヴィリックより」

 最高のブラックジョークも決まったところで、2人は仲間の家で祝杯をあげた。もし次に捕まったら長期刑は免れないという不安を抱えていた彼らは、一刻も早く海外逃亡を実行するための計画を考える。逃亡先はパナマかコスタリカに漠然と決定。その資金集めとして再び窃盗に手を染め始めた。

 路上に止めてある車や、留守宅からとにかく金目の物を盗みまくる2人。順調に逃走資金を稼ぎ始めた彼らだったが、脱走から6日後、思わぬ事態が発生する。いつも通り、住宅地に止めてある車から金目の物を盗んでいると、物音に気が付いた持ち主の男性が2人の前に現れたのだ。さらに運が悪いことに、男性は非番の警察官。兄弟を恐れることなく向かってくる男性に驚いたマークは、男性に向けて発砲。幸い弾は命中しなかったが、すぐに悪名高い2人の仕業だと気付いた警察は、この発砲事件を機に大捜索を実施した。

 さすがに落ち込んだ2人は森の中で野宿をしたり、再び仲間の家に身を隠す。 だが、結局のところ、2人の能天気さは底なしだった。発砲事件から2日後、ホームパーティーに招かれ、酒で気を大きくした2人は大胆な行動に出る。その場のノリでカセットテープに警察へのメッセージを吹き込み始めたのだ。

「お前らに捕まってたまるか! このテープをFBIでもCIAにでも送りやがれ! 俺らはめっちゃ武器を持ってるんだぞ!」

 そう吹き込むと、「カチャ、カチャ」と銃の操作音を録音し、武器自慢をする。テープを聴いた警察は、このあまりにふざけた危険人物をなんとしてでも捕まえようと、指名手配ポスターを町中に張り始めた。

 だが、マークとマーヴィリックはふざけているつもりなど毛頭なかった。2人はマジだった。彼らなりに、国外逃亡への計画を着々と進めていたのだ。3日後、2人はアメリカを離れる前に、最後に姉に会いに行こうとフロリダ州から約240キロメートル離れたアイオワ州を目指す。彼らなりに頭を働かせ、空路を避けて長距離バスに3日間揺られた。

 長旅で疲労した2人が姉の家を訪ねると、留守中の姉に代わって夫が歓迎してくれた。家族の絆を確認した2人は、姉が帰宅するまで地下室で待つことに決めた。

 しかし、勝手に歓迎ムードを感じていたのは2人だけだった。警察は2人の逮捕に向け、指名手配犯となっていることを家族にも伝えていたのだ。2人が地下室でくつろいでいる隙に、口実を作って外出した姉の夫は警察に通報。何も知らずに束の間の幸せに慕っていたマークは、祝杯のビールを買いに家の外に出ることにした。しかし、すでに家の周りには警察官が到着しており、驚く暇もなく、あっけなく逮捕されてしまう。一方、地下室で物音を聞いたマーヴィリックは、姉が帰宅したと勘違いし、玄関先に迎えに行こうとしたところで、取り押さえられてしまった。2人は、地面に押さえつけられ、手錠を掛けられるお互いの姿を、ただただ見届けるしかなかった。のちの裁判で、マーヴィリックは懲役7年、マークには懲役8年の刑を言い渡された。

悪童兄弟に訪れた別れの日

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 2007年、刑を全うし、晴れて釈放されたマーヴィリックは真面目に働こうと思った。地元に戻り、タトゥーショップで職を得た彼は、警察沙汰になるようなトラブルは一切起こさず、まじめに働き、ささやかな幸せを見つけ始めた。しかし彼にとって、兄が特別な存在であったことは変わらなかった。翌年出所するマークに会うことが、楽しみで仕方なかった。

 2008年4月、マークが出所すると、マーヴィリックは彼と再会してしまう。更生したマーヴィリックとは違い、マークに反省の様子などは見られなかった。少年時代から社会の反逆児として存在感を示していた兄に会うことは、マーヴィリックにとってあまりに危険だった。そしてマークの出所から2カ月後、マーヴィリックは兄と共に再び町へと繰り出すこととなる。

 昔を思い出して、留守宅を狙って窃盗を開始し始めた2人。だが、兄弟の運はもう尽きていた。盗みを働く2人を発見した家主に通報されてしまい、慌てて逃げる2人。追ってきた警察と猛スピードでカーチェイスを繰り広げ、住宅街で車を捨て二手に分かれて逃走劇を開始する。上空には2人を探すヘリコプターが飛んでいた。そこら中を警察官が探し回っている。住宅の庭に身を隠したマーヴィリックは、焦っていた。マークはそこから数キロ先の住宅の庭に設置されたプールの中に身を潜め、ただただ時が過ぎるのを待った。だが逃走から数時間後、警察はあっけなく2人を逮捕。今度こそ、本当に終わりだった。

それでも今でもお兄ちゃんが大好き!

 マークには懲役25年が下され、マーヴィリックには11年6カ月の懲役刑が下された。さらに2人にとって最も辛かった量刑ーーそれは今後一切の接見禁止だった。もう決して混ざり合うことのない兄弟は、現在別々の刑務所に収監されている。

 2012年5月9日にテレビ放送されたクライム系テレビ番組『I (Almost) Got Away With It」』に獄中インタビューとして登場したマーヴィリックは、時折笑みを見せながら、現在の心境を語った。

「僕は牢屋に入ったって、過去を振り返って後悔なんてしないんだ。今の状況に満足しているし、自分と向き合えて幸せだよ」

 そして、兄に翻弄され、それでも兄を信頼し続けた彼は、カメラ目線でこう答えている。

「確かに兄ちゃんは不良かもしれない。でも兄ちゃんは死ぬまで裏切らない信用できる男なんだ」

 マーヴィリックは、今でも兄ちゃんリスペクトなのだ!

井川智太(いかわ・ともた)
1980年、東京生まれ。印刷会社勤務を経て、テレビ制作会社に転職。2011年よりニューヨークに移住し日系テレビ局でディレクターとして勤務。その傍らライターとしてアメリカの犯罪やインディペンデント・カルチャーを中心に多数執筆中。

【6代目日ペンの美子ちゃん・服部昇大先生】パロディが公式に!気鋭のマンガ家“6代目爆誕”秘話!!!

――2017年、約45年の歴史を持つ「日ペンの美子ちゃん」に大変革が起きた。「日ペン……? 美子ちゃん?」――記憶の片隅に残る、あのペン習字訴求マンガに、いったい何が!?

【6代目日ペンの美子ちゃん・服部昇大先生】パロディが公式に!気鋭のマンガ家6代目爆誕秘話!!!の画像1
日ペンの美子ちゃん【公式】ツイッター〈@nippen_mikochan

 2014年4月号から本誌にて「流行解明3分間」を連載していたマンガ家・服部昇大先生。本業では『魔法の料理 かおすキッチン』をはじめ、『テラフォーマーズ』のスピンオフ作品『今日のテラフォーマーズはお休みです。』(共に集英社)といった人気マンガを手がけている氏が、今年1月「日ペンの美子ちゃん」6代目作者に就任したことは、ご存じだろうか? 「美子ちゃん……? ああ、少女マンガ雑誌に掲載されていた広告マンガか」と記憶の片隅に残っている本誌読者も多いことだろう。日ペンの美子ちゃんは、学文社が実施しているボールペン習字通信講座の広告マンガとして、1972年に誕生(ちなみに彼女は設定上、永遠の17歳)。これまで歴代5人のマンガ家たちによって描き続けられてきたが、彼らが学文社からの由緒正しき依頼を受けていたのに対し、服部先生が就任した背景は少々異なる。

 そもそも事の発端となったのは、服部先生が同人誌で描いた「日ポン語ラップの美ー子(びーこ)ちゃん」という、“美子ちゃんオマージュ作品”だ。同作は15年、日本語ラップ・ブームの波を受けて、「その聴き方、間違ってるわ!」「もっと文化を掘り下げなさい!」などと、日本語ラップが間違った解釈で世に浸透せぬよう、正しい聴き方を指南するマンガとしてカルト的な人気を誇った。「なぜ、美子ちゃんを主役にサンプリングしたのか?」――それは、本家・美子ちゃんがペン習字講座教育の広告マンガでありながら、「字が汚いと、人格すら疑われちゃう!」というド直球な思考のもと「是正する」スタイルでリンクした点。また、服部先生自身が、熱狂的なまでの日本語ラップ・リスナーであることも巧みに作用したからである。

「少女マンガ雑誌に掲載されていた広告マンガという印象に加えて、あの手この手を使ってペン字を習わせようとする強引さも記憶にすり込まれていました。単行本も出ず、アニメ化もされていないのに、その記憶だけが残っていて、日本語ラップを描くマンガのアイデアを考えたときに、そんな美子ちゃんの強引で、ヒップホップ精神に通じるマインドが適任だと思ったんです」

 そんな半ば強引な親和性の高さが功を奏し、「美子ちゃん、懐かしい」と思いながら美ー子ちゃんを読む層がいれば、まったくの新しいキャラとして受け入れた若い世代も獲得。同人誌の販売も扱う、とあるレコードショップの売れ筋ランキングでは、ジャネット・ジャクソンの新作に次ぐチャートインを果たすなど、美ー子ちゃん人気はたちまち加速度を増す。

 しかし、「出る杭は打たれる」のが世の常。美子ちゃんの著作権を持つ学文社が、美ー子ちゃんの存在に気づくのだ。美子ちゃんと共に年を重ねてきた株式会社学文社の美子ちゃん担当、営業部課長・浅川貴文氏に話を聞く。

「実は広告マンガとしての美子ちゃんは99年に撤退、約10年前から美子ちゃん自体に動きもなかったんですが、昨年5月に再始動プロジェクトをスタートさせました。コンセプトは“懐かしくも、新しい美子ちゃん”で、当初はプロアマ問わず、6代目の描き手を公募する案で動いていました。そんなとき、社員のひとりが、インターネットで『日ポン語ラップの美ー子ちゃん』を発見したんです」

 学文社という、社名からして頭がお堅い社員の皆々様ばかりが勤務していそうな企業は、有無を言わさず「著作権侵害で法的措置を取る!」となりそうなところだが、浅川氏は「このマンガ家の方は、どういった意図で美子ちゃんを扱おうとしたのか?」という疑問を解消すべく、服部先生のブログに記載されていたメールアドレスから連絡を試みたという。服部先生は、そのメールの件名を見て、「終わった……。僕は訴えられて、多額の損害賠償により、この家のすべてが差し押さえに……」と頭が真っ白になったそうだが、文面を読み進めるにしたがい、前向きなヴァイブスが感じ取れたと話す。

「メールは無視されると思っていたのですが、服部先生から丁寧なお返事をいただき、『この人は、金儲けだけを考える悪人ではない』と判断しました。美子ちゃん起用の理由もわかり、さらに美子ちゃんに対するリスペクトも感じられたので、6代目は公募ではなく、服部先生にお願いしようという気持ちが固まりました。社内上層部には、美ー子ちゃんが営利目的で販売されていたことからネガティブに受け止める者もいましたが、私はそれ以上に、服部先生となら新しい美子ちゃんを生み出せるのではないかと思い、正式に依頼いたしました」(浅川氏)

 パロディが公式作品に――。昨今、こうした事例はめずらしくなくなった。例えば、手塚治虫の不朽の名作「ブラック・ジャック」のパロディをツイッターなどで発表していたマンガ家・つのがい氏の「#こんなブラック・ジャックはイヤだ」(小学館)も、手塚氏の実娘である手塚るみ子氏に認められ、単行本まで発売。しかし、すべてのパロディが公式に起用されるチャンスがあるかといったら、話は別。美子ちゃんにもブラック・ジャックにも共通するのは、「オリジナルへの敬意」だ。

 服部先生のマンガは「言葉選びのセンスが巧み」という評価に加え、「現代的な画力の高さではなく、昭和の良き時代を想起させる絵のタッチが、懐かしくも斬新」などの高い評価も得ている。懐かしくも斬新――まさに、これが美子ちゃんと美ー子ちゃん、学文社と服部昇大が結びつく運命的なファクターとなったのだ。

【6代目日ペンの美子ちゃん・服部昇大先生】パロディが公式に!気鋭のマンガ家6代目爆誕秘話!!!の画像2
シンペイちゃんに対する愛ゆえ、今では考えられない発禁用語すらマンガの中で口走ってしまう、この初代美子ちゃんのすがすがしい表情!

「正式なオファーを受け、学文社に行って歴代のマンガ家先生たちが描いてきた美子ちゃんを丹念に読みました。するとどうでしょう、もうパンチラインの雨あられ。例えば、美子ちゃんが憧れのタレントにサインをしてもらうんですが、『まあ!! なにこのへたくそな字 げんめつね』とか、デート相手に『あんたの字ってヘビがのたくってるみたいにへたくそなのね』とか、字が汚い人をこてんぱんにこき下ろしてるんです。ペン字を習わせる強引さどころか、明確な理由はあれど、その人の人格を否定するようなセリフがたくさんあって、その辛辣さはサイゾーに近いものを感じたくらいです」

 本誌がこうして記事にしたのも、「服部先生、6代目就任おめでとう記念」だけではない。そうした美子ちゃんのタブーに挑む歯に衣着せぬ物言いが、本誌の精神ともリンクしたから。6代目就任以降、週1ペースでツイッターに新作をアップし、「4月までに5000人くらいのフォロワーを獲得できれば」と話していた美子ちゃん(の中の人)だったが、アカウント開設から1週間も満たぬうちに目標の5000人を突破し、現在は約1万3000人のフォロワーが、美子ちゃんの新作を待ち望む。ペン字学習だけに、ピコ太郎の「ペンパイナッポーアッポーペン」をサンプリングして「誰がミコ太郎よ~!」と言い放ったり、ブラック企業に勤めるサラリーマンを題材にし、「社畜ね! でも、こんな下手な字の辞表じゃ辞められないんじゃないかしら?」といった暴言も放つ。これらのアイデアは、すべて服部先生が考案し、学文社の了承を得て描いているという。「たまにNGも出ます」と苦笑する服部先生だが、前出の浅川氏は「強引に日ペンを勧めるマンガとしてスタートしましたが、今後はまったく違う場所に登場させたり、他企業とコラボしたり、上層部から叱られない程度に、いろいろな試みに挑戦して、美子ちゃんを成長させたい」と続ける。

 今号が発売される頃には、出家騒動に揺れる千眼美子をテーマに、「よぉ~し、ペン字降霊術よ! ……こんにちわ、日ペン美子です」といった作品がアップされているかもしれない。サイゾーは、そんなチャレンジ精神を忘れぬ、日ペンの美子ちゃんを応援していきます!

服部昇大(はっとり・しょうた)
マンガ家/照英ウォッチャー/プリキュアヲタ/日本語ラップヲタ。本業はマンガ家でありながら、あらゆる分野で活躍するハイパーマルチ・アーティスト。〈服部昇大先生〉と書かれると「はっとり・のぼる・だいせんせい」と勘違いされることが多いという。

歴代【美子ちゃん図鑑】

錚々たる顔ぶれが描いてきた“ザ・少女マンガタッチ”の美子ちゃんたち

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【初代】矢吹れい子先生
1972~1984年


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【2代目】森里真美先生
1984年


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【3代目】まつもとみな先生
1984~1987年


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【4代目】ひろかずみ先生
1988~1999年


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【5代目】梅村ひろみ先生
2007~2016年


日本語ラップに限らず、少女マンガも愛し、絵のタッチも“懐かしくも新しい少女マンガ”的な服部先生の6代目就任は、もはや運命。今後、6代目がどこまで攻めるか、期待しましょう。

〈美子ちゃん初の原画展開催!〉6人の作家によって描き続けられてきた美子ちゃんの秘蔵原画が展示される原画展の開催が決定。●日程:5月16日(火)~30日(火)●時間:12:00~20:00●場所:墓場の画廊 ●http://hakaba-gallery.jp ※詳細は美子ちゃんツイッターで!

【6代目日ペンの美子ちゃん・服部昇大先生】パロディが公式に!気鋭のマンガ家“6代目爆誕”秘話!!!

――2017年、約45年の歴史を持つ「日ペンの美子ちゃん」に大変革が起きた。「日ペン……? 美子ちゃん?」――記憶の片隅に残る、あのペン習字訴求マンガに、いったい何が!?

【6代目日ペンの美子ちゃん・服部昇大先生】パロディが公式に!気鋭のマンガ家6代目爆誕秘話!!!の画像1
日ペンの美子ちゃん【公式】ツイッター〈@nippen_mikochan

 2014年4月号から本誌にて「流行解明3分間」を連載していたマンガ家・服部昇大先生。本業では『魔法の料理 かおすキッチン』をはじめ、『テラフォーマーズ』のスピンオフ作品『今日のテラフォーマーズはお休みです。』(共に集英社)といった人気マンガを手がけている氏が、今年1月「日ペンの美子ちゃん」6代目作者に就任したことは、ご存じだろうか? 「美子ちゃん……? ああ、少女マンガ雑誌に掲載されていた広告マンガか」と記憶の片隅に残っている本誌読者も多いことだろう。日ペンの美子ちゃんは、学文社が実施しているボールペン習字通信講座の広告マンガとして、1972年に誕生(ちなみに彼女は設定上、永遠の17歳)。これまで歴代5人のマンガ家たちによって描き続けられてきたが、彼らが学文社からの由緒正しき依頼を受けていたのに対し、服部先生が就任した背景は少々異なる。

 そもそも事の発端となったのは、服部先生が同人誌で描いた「日ポン語ラップの美ー子(びーこ)ちゃん」という、“美子ちゃんオマージュ作品”だ。同作は15年、日本語ラップ・ブームの波を受けて、「その聴き方、間違ってるわ!」「もっと文化を掘り下げなさい!」などと、日本語ラップが間違った解釈で世に浸透せぬよう、正しい聴き方を指南するマンガとしてカルト的な人気を誇った。「なぜ、美子ちゃんを主役にサンプリングしたのか?」――それは、本家・美子ちゃんがペン習字講座教育の広告マンガでありながら、「字が汚いと、人格すら疑われちゃう!」というド直球な思考のもと「是正する」スタイルでリンクした点。また、服部先生自身が、熱狂的なまでの日本語ラップ・リスナーであることも巧みに作用したからである。

「少女マンガ雑誌に掲載されていた広告マンガという印象に加えて、あの手この手を使ってペン字を習わせようとする強引さも記憶にすり込まれていました。単行本も出ず、アニメ化もされていないのに、その記憶だけが残っていて、日本語ラップを描くマンガのアイデアを考えたときに、そんな美子ちゃんの強引で、ヒップホップ精神に通じるマインドが適任だと思ったんです」

 そんな半ば強引な親和性の高さが功を奏し、「美子ちゃん、懐かしい」と思いながら美ー子ちゃんを読む層がいれば、まったくの新しいキャラとして受け入れた若い世代も獲得。同人誌の販売も扱う、とあるレコードショップの売れ筋ランキングでは、ジャネット・ジャクソンの新作に次ぐチャートインを果たすなど、美ー子ちゃん人気はたちまち加速度を増す。

 しかし、「出る杭は打たれる」のが世の常。美子ちゃんの著作権を持つ学文社が、美ー子ちゃんの存在に気づくのだ。美子ちゃんと共に年を重ねてきた株式会社学文社の美子ちゃん担当、営業部課長・浅川貴文氏に話を聞く。

「実は広告マンガとしての美子ちゃんは99年に撤退、約10年前から美子ちゃん自体に動きもなかったんですが、昨年5月に再始動プロジェクトをスタートさせました。コンセプトは“懐かしくも、新しい美子ちゃん”で、当初はプロアマ問わず、6代目の描き手を公募する案で動いていました。そんなとき、社員のひとりが、インターネットで『日ポン語ラップの美ー子ちゃん』を発見したんです」

 学文社という、社名からして頭がお堅い社員の皆々様ばかりが勤務していそうな企業は、有無を言わさず「著作権侵害で法的措置を取る!」となりそうなところだが、浅川氏は「このマンガ家の方は、どういった意図で美子ちゃんを扱おうとしたのか?」という疑問を解消すべく、服部先生のブログに記載されていたメールアドレスから連絡を試みたという。服部先生は、そのメールの件名を見て、「終わった……。僕は訴えられて、多額の損害賠償により、この家のすべてが差し押さえに……」と頭が真っ白になったそうだが、文面を読み進めるにしたがい、前向きなヴァイブスが感じ取れたと話す。

「メールは無視されると思っていたのですが、服部先生から丁寧なお返事をいただき、『この人は、金儲けだけを考える悪人ではない』と判断しました。美子ちゃん起用の理由もわかり、さらに美子ちゃんに対するリスペクトも感じられたので、6代目は公募ではなく、服部先生にお願いしようという気持ちが固まりました。社内上層部には、美ー子ちゃんが営利目的で販売されていたことからネガティブに受け止める者もいましたが、私はそれ以上に、服部先生となら新しい美子ちゃんを生み出せるのではないかと思い、正式に依頼いたしました」(浅川氏)

 パロディが公式作品に――。昨今、こうした事例はめずらしくなくなった。例えば、手塚治虫の不朽の名作「ブラック・ジャック」のパロディをツイッターなどで発表していたマンガ家・つのがい氏の「#こんなブラック・ジャックはイヤだ」(小学館)も、手塚氏の実娘である手塚るみ子氏に認められ、単行本まで発売。しかし、すべてのパロディが公式に起用されるチャンスがあるかといったら、話は別。美子ちゃんにもブラック・ジャックにも共通するのは、「オリジナルへの敬意」だ。

 服部先生のマンガは「言葉選びのセンスが巧み」という評価に加え、「現代的な画力の高さではなく、昭和の良き時代を想起させる絵のタッチが、懐かしくも斬新」などの高い評価も得ている。懐かしくも斬新――まさに、これが美子ちゃんと美ー子ちゃん、学文社と服部昇大が結びつく運命的なファクターとなったのだ。

【6代目日ペンの美子ちゃん・服部昇大先生】パロディが公式に!気鋭のマンガ家6代目爆誕秘話!!!の画像2
シンペイちゃんに対する愛ゆえ、今では考えられない発禁用語すらマンガの中で口走ってしまう、この初代美子ちゃんのすがすがしい表情!

「正式なオファーを受け、学文社に行って歴代のマンガ家先生たちが描いてきた美子ちゃんを丹念に読みました。するとどうでしょう、もうパンチラインの雨あられ。例えば、美子ちゃんが憧れのタレントにサインをしてもらうんですが、『まあ!! なにこのへたくそな字 げんめつね』とか、デート相手に『あんたの字ってヘビがのたくってるみたいにへたくそなのね』とか、字が汚い人をこてんぱんにこき下ろしてるんです。ペン字を習わせる強引さどころか、明確な理由はあれど、その人の人格を否定するようなセリフがたくさんあって、その辛辣さはサイゾーに近いものを感じたくらいです」

 本誌がこうして記事にしたのも、「服部先生、6代目就任おめでとう記念」だけではない。そうした美子ちゃんのタブーに挑む歯に衣着せぬ物言いが、本誌の精神ともリンクしたから。6代目就任以降、週1ペースでツイッターに新作をアップし、「4月までに5000人くらいのフォロワーを獲得できれば」と話していた美子ちゃん(の中の人)だったが、アカウント開設から1週間も満たぬうちに目標の5000人を突破し、現在は約1万3000人のフォロワーが、美子ちゃんの新作を待ち望む。ペン字学習だけに、ピコ太郎の「ペンパイナッポーアッポーペン」をサンプリングして「誰がミコ太郎よ~!」と言い放ったり、ブラック企業に勤めるサラリーマンを題材にし、「社畜ね! でも、こんな下手な字の辞表じゃ辞められないんじゃないかしら?」といった暴言も放つ。これらのアイデアは、すべて服部先生が考案し、学文社の了承を得て描いているという。「たまにNGも出ます」と苦笑する服部先生だが、前出の浅川氏は「強引に日ペンを勧めるマンガとしてスタートしましたが、今後はまったく違う場所に登場させたり、他企業とコラボしたり、上層部から叱られない程度に、いろいろな試みに挑戦して、美子ちゃんを成長させたい」と続ける。

 今号が発売される頃には、出家騒動に揺れる千眼美子をテーマに、「よぉ~し、ペン字降霊術よ! ……こんにちわ、日ペン美子です」といった作品がアップされているかもしれない。サイゾーは、そんなチャレンジ精神を忘れぬ、日ペンの美子ちゃんを応援していきます!

服部昇大(はっとり・しょうた)
マンガ家/照英ウォッチャー/プリキュアヲタ/日本語ラップヲタ。本業はマンガ家でありながら、あらゆる分野で活躍するハイパーマルチ・アーティスト。〈服部昇大先生〉と書かれると「はっとり・のぼる・だいせんせい」と勘違いされることが多いという。

歴代【美子ちゃん図鑑】

錚々たる顔ぶれが描いてきた“ザ・少女マンガタッチ”の美子ちゃんたち

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【初代】矢吹れい子先生
1972~1984年


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【2代目】森里真美先生
1984年


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【3代目】まつもとみな先生
1984~1987年


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【4代目】ひろかずみ先生
1988~1999年


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【5代目】梅村ひろみ先生
2007~2016年


日本語ラップに限らず、少女マンガも愛し、絵のタッチも“懐かしくも新しい少女マンガ”的な服部先生の6代目就任は、もはや運命。今後、6代目がどこまで攻めるか、期待しましょう。

〈美子ちゃん初の原画展開催!〉6人の作家によって描き続けられてきた美子ちゃんの秘蔵原画が展示される原画展の開催が決定。●日程:5月16日(火)~30日(火)●時間:12:00~20:00●場所:墓場の画廊 ●http://hakaba-gallery.jp ※詳細は美子ちゃんツイッターで!

新聞記者らが語る森友学園問題の裏側と「日本会議の陰謀」

異様な幼児教育と疑惑報道の数々

傘下の幼稚園でなされていた幼児教育の異様さ――「教育勅語暗唱」「中国や韓国を批判する選手宣誓」等々――もあいまって、一気に盛り上がりを見せている、学校法人・森友学園にまつわる疑惑報道の数々。一連の報道の裏には何があり、現場の新聞記者らはそれに対して何を思うのか……。数人の現役記者に集まってもらい、話を聞いた。

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学校法人塚本幼稚園幼児教育学園HPより。

A:全国紙ベテラン記者
B:全国紙中堅記者
C:全国紙中堅記者

A 大阪市の学校法人「森友学園」による国有地取得問題に注目が集まっているね。これまでスキャンダルが少なかった安倍晋三首相が絡む話だし、学園の籠池泰典理事長は次々と関連本が出版されている「日本会議」の関係者。鴻池祥肇・元防災担当相ら政治家の関与疑惑も次々判明し、一気に報道が過熱する政治案件になった。ネットでは最初、「メディアはわざと大きく報じていない」などと日本会議等の政治圧力をにおわせ、陰謀論的に語られていたね。

B 発端は、2月9日の朝日新聞に載ったスクープだったんですけどね。ただ、他メディアの反応が鈍かったことは確かに事実。同じく安倍政権に批判的な毎日新聞の場合、地元の豊中市議が、売却金額を非公表とした近畿財務局の決定取り消しを求めて提訴したことを同じ9日に書いたけど、大阪本社版に短い記事を載せただけ。問題をきちんと報道するまで数日かかり、毎日の編集幹部は怒り心頭だったとか。読売や産経に至っては、国会論戦が盛り上がってくるまでほぼ無視。各社の政治的なスタンスが浮き彫りになる形となりました。

C まあ、報道の遅れは新聞の制作体制にも原因があるんですよね。この問題、当初は大阪の社会部マターでしたから。全国紙は北海道、東京、中部、大阪、西部の5本社制を取っていて、それぞれで独自の紙面を作っている。東京発のニュースは他本社の紙面でもわりと取り上げられるけど、ローカル発のネタは他本社では使われにくい。今回の問題も、国会で取り上げられて「政治部マター」になってからやっと、全国的な問題としてヒートアップしましたよね。

A あと、調査報道は追いかけにくいという問題もあるんだよね。森友学園の問題はもともと、地元でオンブズマン活動をしている市議が「おかしい」と感じて調査を始め、知り合いの記者たちに声をかけたと聞いている。その中で朝日の記者だけが反応して、一緒に情報公開請求や関係者取材を進めたからスクープできたけど、役所が発表している案件ではないから、他社が追いかけようとしても、なかなか裏が取れない。

B 基本的に、新聞の調査報道は最近面白くないですよね。カネにも人にも余裕があって調査報道にも注力してきた朝日にしても、慰安婦報道【1】吉田調書問題【2】でたたかれまくって、社内ではコンプライアンスばかりが言われている。

C それで最近は、「もっと自由に書きたい」と会社を辞めてしまう記者が増えてますよね。2月に注目を集めた早稲田大学ジャーナリズム研究所の調査報道メディア「ワセダクロニクル」の編集長は元朝日新聞記者で、名物連載「プロメテウスの罠」【3】などを担当した渡辺周氏でした。

A ワセダクロニクルの最初のシリーズは、「買われた記事」【4】。製薬会社から依頼を受けた電通側が抗凝固薬を宣伝する記事を共同通信に配信させ、子会社を通して金が流れたとする内容だった。中身を読むと確かに、当事者を見つけ出してよく書いたなあと思う。新聞だと、どんなに取材しても行数を絞らないといけない。でもネットメディアでは書きたいように書けるし、動画でインタビューも載せられるしね。

B ただ、この問題を捕まえてまたもやネットでは、「こんなの“氷山の一角”なんでしょ」なんて意見をよく見かけるけど……いやいや、これは本当にレアケース、あっちゃいけないことですよね。

C まあ、ステマまがいの記事は確かにありますけどね。社の広告部門からの依頼で、日頃から広告で“世話になっている”企業のCSR活動を取り上げるとか、あるいは販売店からの依頼で、地域の話題を取り上げるとか。ただそれにしたって、記者が給料以外の報酬をもらえることはないし。

A この件に関していえば、問題となった共同通信が、非営利組織であるはずの社団法人だからこそ起こってしまったのかも。共同通信は子会社に営利部門の「株式会社共同通信」という会社があって、ここが企業の広報支援などをしている。しかも電通と共同は、もともと戦前は同じ会社だったという歴史もある。共同通信の記者が直接お金をもらうことはないだろうけど、裏ではどうしても、こういう癒着が発生しやすいのかも。

B いずれにせよ最近はワセダクロニクルに限らず、大手メディアを辞めてネットメディアに転身する人が目立ちますよね。元朝日でバズフィード編集長の古田大輔さん、東洋経済からニューズピックス編集長になった佐々木紀彦さんあたりのスター記者が有名だけど、それ以外の朝日や読売あたりでも結構辞めている。

A 最近はどこも人員削減を進めた結果、記者1人の仕事量も増えているし、自由にテーマも選びづらくなっていますからね。「働き方改革」と称して時間外手当を大幅に減らそうとしている某テレビ局のような例もあるし、「夜討ち朝駆け」なんて、要はただのサービス残業ですし……。

C 取材環境も悪くなってますよね。この2月27日から経済産業省が、全執務室を施錠して記者を閉め出し、取材を受けた役人には広報室に報告を義務づける制度を突然取り入れて問題になってます。まあこれは、日米首脳会談前にGPIF【5】が米国のインフラ投資を検討しているという情報が漏れて、激怒した世耕弘成・経産相が情報管理を強化したんだといわれていますが……。

A まあそもそも、これまで役所のセキュリティが甘すぎたという面も。中央官庁内をメディアの記者が自由にうろちょろできるなんて、おかしいといえばおかしい(笑)。防衛省とか原子力規制庁とか、機密を扱う省庁はこれまでも自由に取材はできなかったわけですしね。警察署も、20年前くらいまではデカ部屋と呼ばれる刑事課に記者が出入りして現場の刑事から捜査情報を取れたけど、今は副署長にしか会えなくなった。まあ時代の流れなんだろうね。ただ、機密を扱わない部署でもすべて施錠するのは、少々やり過ぎなところもあると思うけど。

B まあ、どんなに情報管理を強めても、結局は漏れちゃうんですけどね。経済同友会の小林喜光代表幹事が今回の経産省の対応について記者会見で、「私の感覚では、経産省が最も意図的に情報をリークしてきた実績がある」と皮肉ってました。その通り! リークでメディアコントロールをしてきた最たる例が経産省。結局今後も、官庁内の派閥争いや記者との人間関係の中で情報はリークされ続けるでしょう。その流れが生きている限り、我々オールドマスコミにも存在意義はあると思いますね。

(構成/編集部)

【1】慰安婦報道
1980年代以降朝日新聞が報道してきた、旧日本軍による朝鮮人強制連行に関する記事の一部に虚偽があったことが判明、同社は2014年9月に謝罪会見を行った。

【2】吉田調書問題
2014年5月、福島第一原発事故に関する朝日新聞の報道の中で、「原発所員の9割が所長命令を無視し逃げ出した」と報道、のちにこれが誤報であったことが判明した。

【3】「プロメテウスの罠」
2011年10月より朝日新聞にて連載が開始された、福島第一原発事故、および原発をテーマとした長期連載記事のこと。のちに書籍化もされた。

【4】「買われた記事」
2017年2月から3月にかけ、全4回に渡ってワセダクロニクルにて連載された記事を指す。大手広告代理店・電通が、製薬会社からの依頼に基づき、脳梗塞の予防に使用される薬に関する広告まがいの記事を、共同通信を通して全国配信させたというスクープであった。

【5】GPIF
公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人のこと。このGPIFによる米国インフラ事業への投資の可能性を、日本経済新聞が報じた。2月10日に行われた日米首脳会談に際しての“手みやげ”ではないかとの憶測がなされた。

ダンサーから“パフォーマー”でビジネス拡大――EXILEが改革を起こした雑誌から読み解くダンス・ビジネス

――今や学校授業の必修科目としても採用されるストリート・ダンス。その舞台で頂点を極めれば、エンタメの世界で大活躍できるかもしれない。しかし、21世紀に突入した頃は、ダンスで食ってくなんて……絵空事だったんだよ! そんなシーンを支えてきたダンス専門誌と、ダンス・ビジネスを塗り替えたEXILEの歴史を振り返る。

 1990年代前半、バラエティ番組『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ系)の人気コーナー「ダンス甲子園」や、深夜番組ながら人気を博したダンス番組『DADA L.M.D.』(テレビ朝日系)から誕生したダンス&ボーカル・ユニット〈ZOO〉の活躍をきっかけに、日本中を席巻したストリート・ダンスの一大ムーブメント。それまで裏方的存在が強かった“ダンサー”がテレビの主役となり、そんな花形の存在に憧れて、日本全国のティーンエイジャーがダンスに興味を抱く。そしてダンサーを目指す彼らにとって、重要な教科書的役割を担ったのが、雑誌で特集されるダンスの記事であった――。本稿では、日本のダンス雑誌の歴史を紐解きながら、その裏に直結するストリート・ダンスシーン、およびビジネスの流れを追い、最終的には現在のダンス・ビジネスにおける絶対的覇者〈LDH〉との繋がりまでを迫う。

全国のダンサー歓喜 初のダンス専門誌創刊

ダンサーからパフォーマーでビジネス拡大――EXILEが改革を起こした雑誌から読み解くダンス・ビジネスの画像1
「ダンス・スタイル」(リットーミュージック)2号目の表紙を飾ったDA PUMP。創刊号を見て「俺たちが出ねば!」という使命感を背負った、根っからの元祖パフォーマーたちである。

 90年代にストリート・ダンス、およびダンサーを起用して特集を組んでいた雑誌といえば、若者向けのファッション誌がメインで、例えば積極的に誌面で紹介していた「Fine」(日之出出版)であっても、そのページ数は限られていた。一方で、大阪を拠点にダンスコンテスト『DANCE DELIGHT』を主催するアドヒップが、フリーマガジン「ダンスディライトマガジン」を94年に創刊している(日本最初のストリートダンス専門誌といわれ、現在はウェブメディアとして継続中)。そんな中、フリーマガジンではなく、商業誌としてストリート・ダンスシーンに参入してきたのが、音楽出版社〈リットーミュージック〉より01年2月に創刊された「ダンス・スタイル」だ。同誌の初代編集人を務めた坂上晃一氏(現在は、音楽およびダンス関連の企画会社を経営)に当時を振り返ってもらった。

「その頃、リットーミュージックには映像制作部署があり、ギターやベースなどの教則ビデオを作る流れで、私はダンスビデオ(『ダンス・スタイル・ベイシック』)を作ることになったんです。最初は2000本くらい売れればと思っていたんですが、結果的にシリーズ累計で30万本以上売れるヒット商品となった。以後、会社はダンス・ビジネスの拡大を考え、編集スタッフを集めてダンス専門誌『ダンス・スタイル』を創刊しました。

 創刊直後から反響が大きく、TBSの報道番組で取り上げられたのですが、それをツアー中のDA PUMPがたまたま観ていたらしく、『雑誌に出たい』という話になったんです。当時、彼らは飛ぶ鳥を落とす勢いでしたから、2号目の表紙を飾ってもらいました。当初は教則ビデオが売れても雑誌は儲からないだろうと消極的だったんですが、専門誌を作ることによって多方面から声がかかったり、新たなコネクションができたり、ビジネスとして成立するのではないかという感覚を得ました」

 その後「ダンス・スタイル」は季刊化を経て月刊化、「ダンスをやりたいが、情報がない」という地方の中高生などのバイブルとなる(当時の発行部数は10万部)。当時の「ダンス・スタイル」読者のひとりが、EXILE擁するLDHが運営元となるダンス・ボーカル・アクトスクール「EXILE PROFESSIONAL GYM」(以下、EXPG)のマネジメント事業部の部長であり、昨年まで東京校の校長も務めていたKAZUYA氏だ。

「(『ダンス・スタイル』に掲載されたレッスンページを見ながら)とても懐かしいですね。僕の出身は栃木なんですが、近くにダンススクールもなかったので、若い頃は『ダンス・スタイル』や『東京ストリートニュース!』(学研パブリッシング)で特集されたダンス記事を頼りに練習をしていました」

 そういった教則記事のほかにも、全国に点在するスクールの紹介やダンサー向けファッションページといった、実用的なコンテンツを網羅していた「ダンス・スタイル」だが、やはり雑誌の顔となるヘッドラインを飾っていたのは、ダンサー/アーティストのインタビューだ。そこに登場してきたラインナップは、まさに当時の国内ダンスシーンの歴史そのものともいえる。

 創刊号の巻頭インタビューには、振付師としても活躍していたTRFのSAMが登場。2号目には前述の通り、DA PUMP。そして続く3号目には、初代J Soul Brothersから改名したばかりのEXILEの紹介記事が“小さく”掲載されているが、ブレイクを果たした4号目(04年)では、パフォーマーであるHIRO、MATSU、USA、MAKIDAIをフィーチャーしたEXILE初のインタビュー記事が特集されている。そこから一気にEXILEの露出が増えていくことになるが、当時のインタビューについて、前出・坂上氏が話す。

「彼らのインタビューは、こちらの質問に対して答えるというより、すでに自分たちで言いたいことが明確に決まっていた印象があります。おそらく、そういった意識は、事前にメンバー間で共有されていたんじゃないかなと思います。

 HIROさんはZOOのキャリアもあって、芸能界の仕組みを熟知しており、当時のEXILEの基盤作り、ひいてはダンスをアングラなサブカルからメジャー化の道筋を見出すために力を注いでいたのでしょう」

 さて、ダンサーにとって指標であった「ダンス・スタイル」だったが、09年4月号をもって休刊を余儀なくされる。雑誌の売り上げ不振が大きな理由だが、直接的な要因は、並行して販売されていた映像作品(ビデオからDVDへ移行)のセールス鈍化だと坂上氏が続ける。

「それまではDVDの売り上げで雑誌の赤字を補填できていたのですが、だんだんそうもいかなくなってきた。また、読者のダンサーたちが好むようなアパレルブランドやシューズ・メーカー、グッズ販売会社などからの広告収入も目指しましたが、やはりそこはストリート・ファッション誌には到底かないません。雑誌単体として儲けを出すのは、非常に困難となりました」

 ちなみに坂上氏の後に「ダンス・スタイル」の編集長を務めていた人物が、現在は各学校の部活であるダンス部の学生向けフリーマガジン「ダンスク!」を発行していたり、あるいは「ダンス・スタイル」出身のライターがストリート・ダンスのフリーマガジン「SDM」を手がけるなど、ダンス専門誌にかかわった編集者のDNAは、現在も受け継がれている。

 また、「ダンス・スタイル」とほぼ同時期にスタートしたダンス専門誌「DDD」(フラックスパブリッシング)が現在も発行を続けているが、同誌はバレエやミュージカル、コンテンポラリーダンスなど幅広く扱っているため、ストリートダンスを主に扱う「ダンス・スタイル」とは根本的に方向性は異なるといえるだろう(それゆえに現在も存続しているとも考えられる)。

EXILE大ブレイクの陰でダンスビジネスの拡大

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今回の企画に協力してくれたEXPGのマネジメント事業部部長・KAZUYA氏の取材は、中目黒のEXPG東京校にて。とにかく、きれいで、おしゃれで、広かった。また、受付をはじめ、スクール内で働くスタッフや生徒たちの礼儀正しさときたら……。しっかりと教育が行き届いている。

 さて、「ダンス・スタイル」が休刊となる前年の08年6月、「DDD」の出版元であるフラックスパブリッシング協力のもとに創刊されたのが、ご存じ「月刊EXILE」だ。08年にEXLIEが掲げた“パーフェクトイヤー”の一環として創刊された「月刊EXILE」だが、すでに雑誌不況といわれていた時代に出版ビジネスに乗り込むことは、いくらEXILEが絶好調であったLDHといえども“無謀”と思われた。しかし、予想に反し創刊号は30万部近くの発行部数を記録したことで、世の否定的な意見を瞬時に吹き飛ばした。

 創刊から現在(最新号は109号)に至るまで、一貫してHIROが編集長を務める「月刊EXILE」は、ほぼ毎号、EXILEおよびLDHの所属アーティストが表紙を飾り、所属アーティストのインタビューやファッションページ、各アーティストが担当する趣味を生かした連載ページ、さらにメンバーが出演する企業広告まで、さまざまな形での露出が見て取れる。また、ダンスや音楽だけでなく、映画や舞台、ファッション、スポーツから食に至るまで幅広いジャンルを網羅し、大物俳優や若手の人気女優、海外の大物アーティストらも頻繁に登場。誌面を飾る写真やデザインのクオリティも非常に高く、表紙に冠している通り〈総合エンターテインメント誌〉が完成している。

 ちなみに初期の段階で「DDD」とは編集提携を終えているが、12年から現在に至るまで「HUgE」などのファッション誌を手がけてきた右近亨氏が同誌のディレクターを務めている。おそらく洗練された誌面作りは彼の功績による部分が大きい。ただ、これだけエンタメに特化した内容だが、編集の現場は過酷な状況のようで、同誌編集部の内情を知る人物はこう語っている。

「月エグ(月刊EXILE)は基本4人体制の編集部で、とにかく人員が不足していると聞いています。その影響は、少なからず誌面に出ているように感じますね」

 実際、見出しやキャッチには改善すべき点が多く見受けられ、誌面構成の転換期に差し掛かっているのかもしれない。これは雑誌好きの筆者としては、強く改善を望みたいところだ。

 とはいえ、ダンスだけに限らず、音楽、映画、舞台、ファッション、スポーツ、食――LDHがビジネスでかかわるすべてのジャンルを網羅した「月刊EXILE」。同誌を現代の“ダンス専門誌”とくくるには多少無理があるかもしれない。しかし、ダンサーを“パフォーマー”という言葉に進化させ【編註:もともとEXILEはボーカル以外のメンバーをダンサーではなく“パフォーマー”と称し、それが自然と定着した説が濃厚】、裏方から表舞台へと巣立たせたEXILEの手腕、ストリート・ダンスを基盤にしながらビジネスの頂点に立ったLDHが作り上げた「月刊EXILE」は、ある意味で“究極のダンス雑誌”という見方もできる。

 そして、「ダンス・スタイル」から「月刊EXILE」へのダンス雑誌の変革は、LDHが成し遂げたダンス・ビジネス自体の変革でもあり、「ダンス・スタイル」の洗礼を受けた人たちが、現在LDHのビジネスに直接かかわっているのも、ごく自然な流れである。ここで、前出のKAZUYA氏に、再び話を聞く。

「僕がダンスを始めた頃、ダンサーといえば、チームを組んでコンテストに出場し、優勝を目指す。そして、イベントにゲスト・ダンサーとして呼ばれ、その後はアーティストの専属バックダンサーやスクールの講師、あるいは振付師となるのが、ひとつの到達点でした。しかし今ではダンスが学校の必修科目ともなり、当時と比較して、ダンスというツールを使って新たなことにチャレンジできる選択肢は、一気に増えたように感じますね」

 今回、別枠でHIROらEXILEメンバーによるインタビューの名言を掲載しているが、インストラクターでありLDHの一社員であるKAZUYA氏の語る言葉の端々からも、LDHイズムがしっかり叩き込まれているのがよくわかる。

「夜空に光る流れ星を見た一瞬で“願い”を言える人は、常にその願いを持っているから、叶う――という言葉がLDHの考え方にあります。EXPGも“夢の持つ力”を大切にしています。夢に向かって努力したことが、夢の実現や新たな夢の発見につながります」(同)

 余談だが、EXPGのインストラクターは、人と人のつながり、思想の共有を第一に考え、ほぼ全員がその想いを共有した上で入社を果たすという。

 その理由を今回のLDH取材の担当窓口、情報戦略本部・メディア部長の高野氏は、次のように説明する。

「EXILEの看板を掲げたダンススクールですので、EXILEと同じ志を持てるスタッフではないと(採用は)難しいと思います。昔から素性を知っているアーティストやスタッフの仲間であったり、本当に信頼できる仲間と取り組んでいきたいと考えています」

 こういった強い信頼関係によって作られているからこそ、LDHという組織がより強固になっているのだろう。しかし、穿った見方をすれば、究極の囲い込みともいえなくもなく、「月刊EXILE」の誌面同様、すべてのジャンルのエンターテインメントをLDHが独占してしまうかのようにも思える。

「いえ、まったくそういった意識はないです(苦笑)。他者を蹴落とすのではなく、全体の底上げにつながる仕事をまっとうしていきたいと考えています」(高野氏)

 この発言の後、高野氏の目の奥がキラリと光ったような気もしなくはないが、LDHのビジネスはすでに日本国内を飛び越え、世界に目が向けられている。EXPGはすでにニューヨークと台北にも開校し、間もなくロサンゼルスにも進出予定だ。今年頭にはLDHの代表取締役を退任したHIROのLDH WORLDチーフ・クリエイティブ・ディレクターへの就任発表と共に、“グローバル・エンタテイメント企業”としてアジア、ヨーロッパ、アメリカなどへの世界進出を見据えた新体制を発表。昨年末に発売された「月刊EXILE」2月号の誌面では「A new era of LDH」と題した特集が組まれ、さらに別枠で紹介している岩田剛典の発言にもあるように、EXILEは2020年の東京オリンピックにも照準を定めている。

 ストリートから出発したダンスが、ビジネスとして大きな影響力を持ち、最終的にはオリンピックの舞台へ――。

 一昔前のビジネスにおけるダンサーの到達点は、あくまで裏方止まりの印象だったが、EXILEが浸透させたパフォーマーという言葉の定着と共に大きな変化が起きた。それは、アンダーグラウンドで機能していた「ダンス・スタイル」のようなストリート・ダンス専門誌が役割を終え、「月刊EXILE」が総合エンターテインメント誌と成り上がったことが証明しているともいえる。

 EXILE、ひいてはLDHが掲げる、ダンスを軸とした果てしない夢と野望は、「月刊EXILE」の誌面も含め、今後もウォッチしていきたい。

(文/大前 至)

ブサイク芸人と美女のカップルは意外と多い! ローラをガチ口説き中の「コロチキ」ナダルに勝算アリ!?

ブサイク芸人と美女のカップルは意外と多い! ローラをガチ口説き中の「コロチキ」ナダルに勝算アリ!?の画像1
「ROLA(@rolaofficial) | Instagram」より

 新たな美女と野獣カップルが誕生するのか!?

 2月25日に放送されたバラエティ番組『さんまのお笑い向上委員会』(フジテレビ系)で、コロコロチキチキペッパーズのナダルが、ローラに猛アタックしていることが暴露され、話題を呼んでいる。

「藤崎マーケットのトキによれば、ナダルが『最近いけそうな女性がいるんですよ』と話しており、その相手がローラだと明かしました。番組で共演した際に、食事に誘っている現場を4回目撃されており、これに対してナダルは『釣り行きましょう』と誘っただけと釈明しました。ローラからは『行けたら行きましょ』という返事をもらうも、いまだ実現はしていない模様です。野獣顔のナダルですが、実は素人女性に関しては口説き落とした実績がそこそこあるようで、彼にしかわかからない“手応え”を感じていたのかもしれません。ちなみに、ナダルは芸能人の華やかな結婚に憧れていて、橋本マナミもターゲットにしていると明かしていました」(テレビ誌ライター)

 当然、放送後にはネット上で「無謀」「無理」「勘違い」といったワードが連打されることとなった。しかし、芸能界を見渡せばブサイク芸人と美女のカップルは意外と多い。最近ではマンボウやしろ&Perfumeのっち、バナナマン日村勇紀&元NHK・神田愛花、よゐこ濱口優&南明奈の交際などが報じられており、実際、“抱かれたくない男”殿堂入りの出川哲朗も美人レースクイーンを射止めている。

 美女と野獣カップルが誕生する理由を、心理学に詳しいカウンセラーはこう解説する。

「女性心理としては、裏切らない、尽くされるので疲れない、収入など外見以外の魅力が大きい、別れたときに傷つくことが少ない、断りきれなかった…ということなどが挙げられます。いずれにせよ、美女の隣にいられるのは美女を口説いた男だけですから、ナダルさんにも可能性は十分あるんじゃないでしょうか」

 ナダルの大金星を大いに期待したいところだが、ローラといえば三代目J Soul Brothers・登坂広臣との交際が報じられたこともあり、かなりのイケメン好きと推察される。口説き落とすには“断りきれないほど誘いまくる”しか手はなさそう?

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