「スカートを履いているからいけない」性暴力被害に遭った私に押し付けられる“枠”と、セカンドレイプが起きる理由

「私は子どもの頃から何度も性暴力の被害に遭ってきました」
「大学2年生のときに被害に遭い、自殺未遂をしました」
「大学3年生のときの被害をきっかけに対人恐怖とPTSD(心的外傷後ストレス障害)で大学に通えなくなり、ひきこもりになりました」
「8年前から被害の経験を発信し、啓蒙・支援活動をつづけています」

 この自己紹介を読んでどんな人を想像したでしょうか。

「弱々しいかわいそうな女性」
「なんでもセクハラだと言って、いつも怒っている活動家」
「なんだか違う世界の人」

 こんなふうに思って「“そういうカテゴリーの人”の話」と線を引いて距離を置いた人も多いのではないでしょうか。

 誰もがカテゴリー(枠)を作って、ものや人を振り分けています。何かを認識するためには自然なことで、それがなければ情報量が多すぎて混乱してしまうのだと思います。けれど、いつの間にか作られた「こういうものだ」「こうあらねばならない」というたくさんの枠を窮屈に思いながらも自分が何に捉えられているのかもわからない、そんなことが多いのではないでしょうか。

 私がこれからwezzyでお伝えていきたいことの中に、まずこうした枠の決めつけがあります。

 はじめまして、卜沢彩子(うらさわ あやこ)と申します。第一回ということで自己紹介代わりに、“無意識の枠”を特に意識するようになった経緯を私の経験とともにお話していきます。

被害後の人生を左右する言葉の数々

 先述のとおり、私は何度も性被害に遭って精神疾患を抱え、心と身体を壊しました。被害自体ももちろん屈辱で、私はその都度、自己肯定感を大きくそがれました。しかし私が一番つらかったのは、その後のセカンドレイプと生活でした。

▼解説 セカンドレイプとは?
性暴力の被害者に対する二次被害の総称。本人の意志に反して被害の苦痛を思い出させたり性暴力の責任を被害者に求めることで、間接的もしくは直接的に心理的、社会的なダメージを与えること。

 被害に遭った人はPTSDなど精神疾患を抱えることが多く、体調や精神状態が不安定になり、日常生活に支障をきたします。そしてその影響で周囲に迷惑をかけたとき、約束を守れなくなったとき、何度も繰り返し自分を責めるようになります。それだけでなく、周囲からも“被害に遭った責任”を求められつづけます。セカンドレイプがあることで、被害者はさらに傷ついて人間不信になり、社会生活を送れなくなり孤立してしまいます。

 セカンドレイプは被害者の回復を遅れさせるだけでなく、さらに傷つけて状態を悪化させてしまう深刻な問題だということはあまり意識されていません。

 私も被害後は乖離状態が続いてミスが多くなり、空回りしてばかりでした。PTSDを抱えて常に体調が悪く、ストレスを受けると倒れてしまうようになりました。大学の教室で倒れることが続き、保健センターの先生に「倒れるなら学校に来るのやめなさいよ、あなたのせいでみんなが迷惑しているのよ」「立ちなさい、立てるでしょ」と罵倒されたりしたこともありました。その後、被害に遭っていたことも伝えましたが「そういうことは早く言いなさいよ!」と言われただけでした。

 必死に動こうとして迷惑をかける。動けなくても迷惑をかけてしまう。被害に遭ったことで責められつづける。ただでさえ人間が怖くなっている状況でこうした言葉をかけられると、さらに対人恐怖に拍車がかかり、学校に行こうとすると動悸が止まらなくなりました。被害に遭ったせいで起きた症状をコントロールできていないことを、話も聞かずに頭ごなしに責められるという状況をとにかく理不尽だと感じながらも、周囲に迷惑をかけているのは事実だと申し訳なく思い、大学に通えなくなりました。

セカンドレイプは知識の問題だ

 人が当たり前にこなせしていることができず当然の責任も果たせない自分が悔しくて、申し訳なくて仕方がありませんでした。もともと人が大好きで、純粋培養の“意識高い系”で、高校時代から学生団体の運営や留学、勉強会、ボランティアなどに勤しんでいて常にやりたいことにあふれていた私にとって、動けなくなってしまったということはなによりも苦しいことでした。

 2008年、引きこもった私は、自分がこれからどうすればいいのかわからず、寝込みながら性犯罪について検索して調べました。しかし当時は今と比べて性暴力に関する情報はインターネット上にまとまっておらず、なんの知識もない私が情報にたどり着くのは困難でした。関心を持って探している自分でも知識を得ることが大変な現状で、ほかの人が知識を持てるわけなんてないと思いました。

 そこで私は「セカンドレイプは被害の現状を知らないから起きるんじゃないのか?」と思うようになりました。

「スカートを履いているからいけない」ーーそう親しい人に言われたこともありました。友人は私のことが心配だから自衛をしてほしかったのだったと思いますし、私もその友人を責めたくはありません。しかしこれは「どんな状況で被害が起きるか」も「それが本当に自衛になるのかどうか」も知らないまま、被害者に責任を求めていることになります。

 セカンドレイプは思いやりの問題だと思っている人は多いと思います。しかし、自分が受けたセカンドレイプを振り返ってみても、セカンドレイプをしてしまう人は性犯罪に関しての知識がなくイメージで語っているのであって、そこに悪気がない例がほとんどです。

 いきなり性犯罪をなくすのは難しいかもしれない。でも性犯罪について知ってもらうことで、少なくとも悪気のないセカンドレイプをなくしていくことはできるかもしれない。それがなくなることで、悪意のある中傷のセカンドレイプをしにくい空気が生まれ、性犯罪をしにくい社会にもつながるんじゃないか。

「セカンドレイプをなくしたい」ーーそれが活動当初からの私の軸でした。

実名と顔を出して発信をはじめる

 そして当時、被害を顔と名前を出して公表していた小林美佳さんの著書『性犯罪被害にあうということ』(朝日新聞出版社)にたどり着いたのです。「経験を発信することで社会を変える、という方法があるのか!」と衝撃を受けました。そして「知らない人が多いからこそ、経験を発信すれば被害の現状を理解してもらうことにつながるんじゃないか」そう思い、まず私は自分の実名と顔を出して被害の経験をブログで公開しはじめました。

 私はもともと人前に出ることにも発信することにも慣れていましたし、また、珍しい名字のため少し検索すれば実在する人間だとすぐわかります。私の黒歴史まで出てくることでしょう(笑)。自分の名前と顔を出したのは、「生きている人間だ」ということ、そして「被害に遭ったことは隠さないといけないことじゃない」と示したかったから。そこから8年間、NPOに所属したり個人で動いたりして支援や啓蒙活動を続けています。

新しい自分の歴史をつくる

 知識がないこと、ふだん触れる機会がないことに関しては特に、イメージで作り上げた枠を人に押し付けがちです。自分と違うものに対して「“普通”という枠から外れた行いをしている」と決めつけやすいのです。そして枠の中に押し込められて抜けられなくなったり、逆に枠から外れてしまって途端に生きづらくなったりして、苦しんでいる人たちがたくさんいます。セカンドレイプもそのひとつで、内容によっては取り返しがつかないほどに人を傷つけます。

 枠は、その人が生きてきた歴史です。枠を押しつけてしまう前に、まずは知ろうとすること、そして対話してみること。そんな機会を作ることが、どんな枠を自分が持っているのかを知り、新しい自分の歴史を作る一歩なのではないかな、と思っています。

 今回はセカンドレイプから感じた、“知らないことにより生まれる枠”についてお話しました。次回は実際に活動するなかで感じた被害者のドレスコード(枠)についてと、“問題を切り分け”て好きな服(ハッシュタグ)で生きていくことについて考えます。

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