「シャイ」は許されない?~みんなの前で「好きなもの」を発表するアメリカの “Show and Tell”
今回はアメリカの幼稚園(キンダー)でおこなわれている「Show and Tell」(ショー・アンド・テル)について、徒然に書いてみたい。
ショー・アンド・テルとは日本語で「見せて、お話」と訳されているように、園児が自宅から持ってきたお気に入りのオモチャなどをクラスメートの前で見せて、それについてお話しすることを言う。目的は以下のようにいろいろある。
1)自分の意見を主張する
2)大勢の前で話す
3)好きなものを「好き」と言い、先生や友だちに共感してもらうことによって「自己肯定感」を育む
4)「見せて、お話」をやり遂げることによる達成感
5)他の子供の「好きなもの」を見聞きし、多様性を知る
スヌーピーのテレビ版アニメに、そのものズバリ「Show and Tell(邦題:見せて、お話)」というエピソードがある。チャーリー・ブラウンの妹、サリーが「アメリカで発明されたもの」についてクラスで発表し、その際、スヌーピーが助手を務めるという筋書きだ。ただし、これは発表するものについて事前にリサーチする高学年向けの内容だ。
ショー・アンド・テルはアメリカ全土で普及、浸透している授業だがキンダー(幼稚園)で始め、小学校の低学年でも引き続きおこなう。アメリカの入学年齢は日本より早く、ニューヨークの場合、小学1年生は5/6歳児が混在する。したがってキンダーは4/5歳児、キンダーの前の "Pre-K" と呼ばれる幼稚園は3/4歳児が混在しており、子供たちはキンダーまたは Pre-K でショー・アンド・テルを始める。
それほどの低年齢だと言語能力にバラつきがあり、持参したオモチャの「説明」などできない子供もいるが、そうした時期にとにもかくにも人前に立ち、話をするからこそ、大きな意味があると言える。
お話しが得意な子も、そうじゃない子も楽しんで
以下のビデオはあるPre-K(3/4歳児)のショー・アンド・テル風景だ。
いちばん最初に登場する男の子ルーカスはサッカーのトロフィーについて、かなり上手に説明ができている。先生は他の子供たちのお手本になるよう、意図的にルーカスを最初に指名したと思われる。カメラに向けてトロフィーを見せる時のルーカスの満足そうな顔つき! 最後に先生が「ルーカスに『グッドジョブ!』と言ってあげよう!」と言い、全員が口々に「Good job!」とルーカスを褒めている。
次(1'33")の「モンスター・トラック・スクールバス」を持ったケイデンはルーカスに比べると表情がおとなしめだが、「トラックのスイッチを押すと音が出る」ことをみんなに伝えたくてしょうがない様子がみて取れる。他の子供たちもトラックを目の前にすると「ワオ!」と驚いてみせる。いいなと思うと素直に口にする、もしくは人を褒める習慣がすでに身に付いているのだ。
後半(9'10")に登場する、人形を持った女の子ブリアナは自分からはほとんど喋らない。そこで先生が「お人形の名前はなに?」「ミシェルっていうの? みんな、かわいい名前だと思わない?」と、ブリアナの人形と他の子供たちをうまく繋げている。その後も先生が子供たちに人形に関連する質問を続けるので、集中力が切れかかっていた男の子たちも最後は人形を触ったり、抱きしめたりしている。ちなみにシャイにみえるブリアナだが、最初のほうで先生が「次は誰がやりたい?」と聞いた時には手を挙げていた。
「お気に入りのオモチャ」を持参させるのは、幼い子供にとって話しやすい「ネタ」だからだ。ただし学校や先生によっては、もしくは学年が上がってくると、たとえば「家にある赤いモノ」「自分が生まれる前に作られたもの(ビデオテープやダイヤル式の電話など)」と条件を設定することもある。その場合、子供本人はそれほど関心を持っていなかったモノを選び、親から説明を受け、それを覚えて発表しなければならず、ハードルが高くなる。だが、それを繰り返すことによって、将来必要になるパブリック・スピーキング(公の場で話すこと)やプレゼンテーションの基礎力が養われる。
なお、このビデオでは子供たちが一列にイスにすわっているが、一般的な教室で子供が前に出ておこなう、または全員が輪になり、一人が真ん中に立って発表するパターンもある。
オモチャで格差?
実は少し前に筆者が「アメリカには Show and Tell というのがあって、これは日本でもやればいい」という趣旨のツイートをおこなったところ、4600もの「イイネ」がついた。同時にいろいろなリプライもいただいた。それによると、日本でも「ゆとり世代」以降は小学校で似た内容を「わたしのたからもの」「たからものをしょうかいしよう」といった名称でおこなっているとのこと。体験している世代は「楽しかった」、自分の子供が体験している世代も「楽しそうにやっていました」。さらに教育関係者から、子供を「ほめる」ことを奨励する動きもあると教えていただいた。
だが、日本でショー・アンド・テルをおこなうことで派生するネガティブな副作用を憂う声もたくさんあり、これには本当に驚かされた。
1)所得格差が持参するオモチャに反映され、子供が傷つく→親が学校にクレーム→学校が対応に苦慮するであろう
2)ことさらに高価なオモチャでなくとも、数百円の学用品でも「嫉妬」「虐め」の対象となる
3)クラスメートに『ヘン』と思われないものを持参する。そのために好きでもないものを『好き』と嘘をつくのではないか
4)友だちの趣味のアラ探し大会になるのではないか
5)人前での発表が出来ない子もいる。その対応は?
こうした意見の多くは、実際には当人または当人の子供がショー・アンド・テルを実体験していない層から出ていると思われるが、だからこそ頭を抱えてしまった。筆者自身は日本生まれの日本育ちながら、子育てはアメリカでしかおこなっておらず、日本の現在の教育環境に疎いことは確かだ。それにしても、アメリカで広く浸透している(言い換えれば、誰もが体験している)教育法に対し、少なくない数の人が実体験する前に否定的な「想定」をしてしまう日本の社会状況を憂えてしまったのだ。
とりあえず、上記の意見に対するアメリカの実情を説明してみる。
1)アメリカには日本以上のとんでもない所得格差があるが、所得による地域的な住み分けが徹底しているため、富裕層と最貧困層の子供が同じ幼稚園・小学校に通うことは稀
2)アメリカでも「買ってもらえない」側の子供に「嫉妬」はあり、年齢が上がるとスニーカーなど高価な品を巡って問題も起こるが、幼稚園~小学校低学年の間は数ドルの文具で大ごとにはならない
3)幼稚園児~小学校低学年がそこまで空気を読むことはない。そもそも周囲を気にせず、堂々と自己主張をさせるための訓練
4)これも幼稚園児~小学校低学年レベルでは起こりにくい
5)シャイな子供は先生が支援する。親が希望すれば親の付き添いも可能。無理ならパス。無理強いはせず、何事に限らず「泣いてもやらせる」的な風土はない
アメリカと日本の国民性
国民性に違いがあることは考慮しておくべきかもしれない。アメリカにも「シャイ」な子供はいるが、シャイの種類が日米で異なる。普段は口数が少なく、おとなしい子供も、たとえばマクドナルドで間違ったメニューを出されると、はっきり「違う」と言う。ショー・アンド・テルなどで鍛えられる部分も大いにあるが、就学前にすでに親を含む周囲の大人の自己主張振りを見て、自然に吸収しているのだと思える。
筆者はアメリカに長年暮らしても、やはりメニューを間違えられても「ま、これくらいいいか」的な態度を取ることがある。しかし夫はアメリカ人であり、仕事上であれ、個人的なことであれ、「自分にはこれが必要/不要」をはっきりと口にする。子供の頃の「自分が好きなものは好きと言う」教育が転じてのことと思える。
息子はそれを見て育った。したがって息子もシャイではない。幼稚園の頃、ショー・アンド・テルも大好きで、自分の番ではない日にもオモチャを持っていこうとしていたことを覚えている。現在、中学生となった息子は、得意な学科に限るとはいえ、クラスでのプレゼンテーションは好きだ。去年、学校のイベントで、息子を含むクラスメート3人が近隣の大学に出掛けて大学生の前でプレゼンテーションをおこなったが、3人とも「恥ずかしい」という気配は微塵も見せなかった。
ちなみに筆者は渡米直後、ある大人しい男の子の親に「おたくのお子さん、シャイですね」と何気なく言い、気分を害されたことがある。その子のお母さんは、「いいえ、彼はシャイじゃないですよ」とはっきり反論してきた。アメリカ人の中には、シャイとは「自己主張が出来ない弱い人間」と捉える人がいるのだ。
ニューヨーク市の教育庁が出している教育指針の「言語」(国語に相当、アメリカでは英語)のページには、以下のようにある。
Pre-K(3/4歳児)
学年度の終わりまでに全員ができるようにすること:
多彩な話題、経験、アクティビティについて、大人や友だちと会話
キンダー(4/5歳児)
学年度の終わりまでに全員ができるようにすること:
いろいろな目的(新しい情報を説明し、話し合う/質問をする/アイデア、考え、感情を表現する/想像力に富んだ会話と社会的な交流)のために話す
こうしてアメリカの子供たちは、否応なく「自己主張」し、かつ「シャイではない」人格に育っていくのである。
(堂本かおる)