乳幼児たちへの児童ポルノ製造等の行為は、実妹への長年の性的虐待ののちに始まった/殺人シッター公判

 2014年3月に埼玉県富士見市で発生したベビーシッターによる2歳男児殺害事件。逮捕された物袋(もって)勇治は同月14日、山田龍琥(りく)君(2)とその弟を預かり、龍琥君を殺害したとして殺人罪に問われている。しかし物袋が問われている罪はこれだけではなく、多くの乳幼児に対する児童ポルノ禁止法違反や強制わいせつ等でも起訴されていた。昨年6月に横浜地裁で開かれていた物袋に対する裁判員裁判の様子を、連続しリポートしていく。

▼第一回:『殺人シッター』と呼ばれた男の長い起訴状
▼第二回:2歳男児はなぜ死亡したか 真っ向対立した検察側・被告側の主張
▼第三回:乳幼児を預かるために被告人が画策した計画と、母親が夜間保育を必要としていた事情
▼第四回:引き渡し時、子供は「いやだー」「こわいー」涙をボロボロ流して泣いた
▼第五回:『未払い料金を回収するために子供を預かった』という苦しい言い訳/殺人シッター公判

 第6回公判では龍琥君とその弟B君を含む、多数の乳幼児に対する児童ポルノ製造にくわえ、そのうちのE君への強制わいせつ、C君への強制わいせつ致傷、龍琥君とB君へのわいせつ誘拐、龍琥君への強制わいせつについても審理が行われた。物袋の主張は前回の龍琥君とB君に対する殺人、保護責任者遺棄致傷の審理と同じく一貫していた。たしかに児童ポルノ製造(淫部の写真を撮影し保管する)は行なったが、それはわいせつな意図に基づくものではない、というものだ。弁護側の冒頭陳述ではこのように述べられた。

・C君への強制わいせつ致傷
「たしかにC君のオムツを下げて陰茎を撮影はしたが、わいせつ目的ではない。C君の亀頭が露出しているのはことさらに陰茎を剥いたからではない」

・A君への強制わいせつ
「確かに生前に紐で陰茎を縛ったが、生前には舐めてはいない」

・E君への強制わいせつ
「陰茎を縛ったり、陰嚢をつかんだりしたが、強い力ではない」

・龍琥君とB君へのわいせつ誘拐
「シッター料金をめぐるトラブルが預かりのきっかけでわいせつ目的はなかった」

 その上で「幼少期の悲惨ないじめの体験や、被告人の能力がどう関係しているかを理解しないと事件を判断することは不可能」と主張した。こうした話はのちの被告人質問で存分に語られたが、まずは今回の審理について進めよう。強制わいせつ等の被害者となった男児たちのように、乳幼児でありながら自然に陰茎の包皮が剥けるのかということについて泌尿器科医の調書が読み上げられた。

「男児は皆包茎で生まれてくる。包皮は亀頭と癒着しており、成長につれ陰茎も成長し、徐々に癒着が取れて露出してくる。三歳児のなかには、付け根の方へ包皮を下げて剥くこともできるが、それはあくまでも稀なこと。せいぜい亀頭の半分が出れば良い方。無理やり剥くと、もともとくっついていた状態を剥がすことになるので、傷ついて炎症が起こる。乳幼児の陰茎を剥くことは絶対にやってはならない……」

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 その上で取り調べではこの医師に児童らの写真を見てもらい、これが人為的に行われたものか、そうでないかを一つ一つ確認したという。いずれも無理やり包皮を剥かれて赤く炎症を起こしていると語られていた。

 読み上げののち、C君のお母さんの証人尋問が行われた。龍琥君とB君の母親と同様、遮蔽措置が取られ傍聴席からその姿を伺うことはできない。平成25年3月に、生後8カ月だったC君を、自宅の二階で3時間、被告人に見てもらった際に、C君が被害にあったという。C君の家はお母さんの仕事の都合で防音措置が取られており、階上での声が聞こえてくることはなかった。

検察官「オムツを替えるときにC君の包皮が剥けたことは?」
お母さん「ないです」
検察官「おしりふきで陰茎を拭くときに包皮が剥けたことは?」
お母さん「ないです」

 このようにあえて確認が行われるということは、物袋は「オムツ替えのときに勝手に剥けた」と主張しているのだろう。実際そうだったが、C君の母親の尋問を続けよう。この日は預ける30分前にオムツを替えており、下痢などの症状はなかった。このときも、前日にお風呂に入れた際も、C君の陰茎に異常はみられなかった。だが、預けた翌日の朝、オムツ替えのために陰茎を見たところ、真っ赤に腫れていたのだという。

「おちんちんが赤く腫れて、血が出てるかと思った感じでした。すぐに主人に、写真を撮ってそれをメールしました」

 その後すぐに病院を受診し、塗り薬を処方してもらったという。母親は、ときに涙ぐみながら、こう語った。

「正直……この裁判でこういう証言をすること自体……警察や検察の方からいろんな確認を何度も……しなければならない、とても残酷な時間をずっと過ごしてきました。警察の方からは、どうか自分を責めないでくださいと何度も励まされてきましたが、自分にとって息子は目に入れても痛くない、何かあったとき、命と引き換えにすぐに差し出すほど大切な存在です。自分を責めるなと言われても、なぜあの日に仕事が入ったのか、なぜあの日、いつものシッターさんとスケジュールが合わなかったのか、なぜあの日私は……容疑者を信用して息子を預けてしまったのか……。自分を責めずにはいられません。きっと自分が死ぬまで、この気持ちを持ち続けていると思います……。本当はすべてなかったことにしたいぐらいのことですが……私がここで証言する理由はひとつ、容疑者が一生この社会に出てこれないようにしてほしい、それが、私ができる、息子に対しての唯一の償いだと思っています。どうか容疑者を一生戻ってこれないように裁いてください」

 物袋はこれを、いつもと変わらぬ無表情で聞いていた。傍聴席にはたびたび物袋の実母がおり、この日も座っていたが、何か手遊びをしている様子だった。翌日の被告人質問で物袋はこの件に関して「オムツを替えるときにおしりふきで陰茎を拭くときに剥けた、気づいたら剥けていた、びっくりした」と話した。戻そうとしたが戻らなかったとも述べた。だが母親にそれを報告していない。

「ん~特に知らせる必要ないかなと思いました」

 自分を責め続けている母親との落差が果てしない。この時の被告人質問では、事件の核心である「物袋は性的な意図を持ってこうした行為を行なっていたのか」ということについて激しいやり取りが交わされた。物袋はこうした行為を「自分もやられたからです」と繰り返す。トラウマによるフラッシュバックから、こうした行為を繰り返したというのが物袋の言い分だった。そして、そうした行為の最初の被害者は、物袋の実の妹だった。

 ものすごく長くなるが、やり取りを以下に再現する。

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検察官「乳幼児や小児の写真を撮ったり裸にして性器を触ったりしたことはないの?」
物袋「あります」
検察官「誰?」
物袋「女性です」
検察官「誰ですか?」
物袋「えーー、妹です」
検察官「学年はどのくらい歳が離れている?」
物袋「……1~2年だったと思います」
検察官「妹にはどのような行為をしていたんですか?」
物袋「同じようなことをしていました、写真を撮ったり」
検察官「どんな?」
物袋「ん~と、裸とか、そういう写真です」
検察官「それ以外にも?」
物袋「……あったと思います」
検察官「どんなこと?」
物袋「………ちょっと覚えてないです」
検察官「淫部を触ったりはしませんでしたか?」
物袋「あったと思います」
検察官「舐めたりは?」
物袋「………ちょと覚えてないです」
検察官「忘れました?」
物袋「はい」
検察官「なぜ?」
物袋「………昔だったので」
検察官「捜査機関の取調べの時は覚えてましたよね?」
物袋「だいたい」
検察官「淫毛をカミソリで剃ることは?」
物袋「ありました」
検察官「妹への行為は、何のためにしていたんですか?」
物袋「何のためというのは?………何のため……?」
検察官「意味わかりません?妹さんを裸にしたり、写真を撮ったり、淫毛を剃ったりね、何のためにそんなことをしていたんですか?」
物袋「自分もやられたからです」
検察官「誰に?」
物袋「中学時代の同級生にです」
検察官「そのような行為をしたとき、妹さん、嫌がってなかったんですか?」
物袋「…………嫌がってなかったと思います」
検察官「それはあなたが暴力を振るっていたからではないですか?」
物袋「…………違うと思います」
検察官「妹に暴力は?」
物袋「きょうだい喧嘩とかはありました」
検察官「暴力を振るったことはありますか?」
物袋「あったと思います」
検察官「裸にして写真を撮ったり、淫毛を剃ったり、いつ頃からしていたんですか?」
物袋「中学校の時からだと思います」
検察官「あなたが?」
物袋「だと思います」
検察官「いつ頃までしていたんですか?」
物袋「……具体的なのは覚えてないです」
検察官「平成23年、24年ごろまでしていたんじゃないですか?」
物袋「……かもしれません」
検察官「妹さんへの行為をなぜその頃からしなくなったんですか? もしくは、できなくなったんですか?」
物袋「別に暮らし始めたからです」
検察官「妹さんと連絡は?」
物袋「とれてないです」
検察官「なぜ取れなくなった?」
物袋「え~と………連絡先とか分かんなくなったから」
検察官「なぜだと思う?」
物袋「わからないです」
検察官「中学時代から、平成23年、24年ごろまで、妹を裸にしたり写真を撮ったりしてたんですよね、(妹は)それが嫌になって連絡を絶ったんじゃないですか?」
物袋「わからないです」
検察官「中学から何度も背中を拳骨で殴ったり、足で蹴るなどの暴力を振るってたんじゃないですか?」
物袋「覚えてないです」
検察官「取調べの時、検察官に話してない?」
物袋「……え~、それぐらいのことは話したと思います」
検察官「そのような暴力だけじゃなく、淫毛を剃ったり、写真を撮ったり、性器を舐めるといういたずらをしていた、と言ってなかった?」
物袋「してたと思います」
検察官「連絡が取れなくなったのは平成23年~24年の頃ですよね」
物袋「だと思います」
検察官「一時保育を始めたのはいつ頃?」
物袋「……」
検察官「登録は平成24年11月では?」
物袋「だと思います」

 物袋は多数の乳幼児に対する児童ポルノ製造や今回起訴された事件を起こす前に、実の妹に長年、暴力と性的虐待を繰り返していた。その妹が物袋やその母親らが住む家から姿を消したのちに、シッターの登録をしたというのだった。だがそれはあくまでも「自分もやられたから」だという。そのために乳幼児の陰茎を見るとフラッシュバックを起こして同じことをしてしまったというのが物袋の主張だ。この第7回公判の被告人質問はさらに続き「自分がやられたこと」や「フラッシュバック」について、質問が続けられた。
(高橋ユキ)

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