「30歳までに結婚したかった」鹿児島出身女子が、1年で離婚後も東京に留まるワケ/上京女子・ケース6

29歳から30歳になる。それはある種の女性にとってかなり「ビビる」時だ。

ただひとつ年を重ねるだけなのに、ものすごく大人になるような。仕事でもプライベートでも「大目に見てもらう」こともできなくなってしまうのでは、そんな恐怖がある。30歳までに何かしておかなければいけないんじゃないか? 仕事でも恋愛でも成果を出しておかないと!

私もそんな風に、出所のわからない焦りに惑わされていたひとりだった。しかし、実際に30歳を過ぎた今、大した変化はない。むしろ、楽になった実感さえあるのだけれど。

今回話を聞いた有紀も、「30歳までに何とかしないと」と焦りを感じていたひとりだった。

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今日の上京女子・有紀(33)
今日の上京女子/ 稲垣有紀(仮名)33歳 マンションのフロント係

「私話すのが下手だから……私なんかでちゃんとした取材になるのかなあ」と戸惑いながらも取材に応じてくれた有紀は、柔らかい雰囲気の女らしい人だ。現在は得意の語学を活かして、入居者の4割近くが外国人だという都内の高級タワーマンションのフロント係として勤務している。

「ニュージーランドの大学を卒業して、英語が好きだから今の仕事を選んだんだ。毎日笑顔で挨拶して、入居者の方たちと雑談したり、時には感謝されたり。今の仕事はすごく楽しいし自分に合っていると思う」

しかし、29歳の頃は仕事で悩んで体調を崩し、休職中だったという。

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鹿児島から上京。29歳。仕事は辛い。30歳までに結婚したい

ニュージーランドの大学に在学中から、子供が好きで、語学や教えることも好きだという理由から、「児童英語の先生になりたい」と考えていた有紀。オーストラリアに2カ月間留学し、児童英語の資格を取得。大学卒業後は故郷の鹿児島に帰り、すぐに児童英語の先生として働き始めた。

「子供は可愛いし、仕事自体は楽しかったんだけど……。社会保険にも入れない、ちょっとブラックな会社だったんだよね。だから、このままここにいたらだめだなって思って」

そう思った有紀は転職活動を開始、ニュージーランド滞在時にはインターンで販売業を経験していたことから、今度は「英語+販売」の仕事をしようと思いついた。

「英語を活かせる販売業っていうと、やっぱり成田空港かなと思って、成田の免税店で働くことにしたんだよね。最初は東京で一人暮らしをすることに親も反対してたんだけど、社員寮もあるし、しっかりした会社だったから、最終的には許してもらえて」

仕事のために上京した有紀。当時24歳だった。仕事は忙しく刺激的で、時間は飛ぶように過ぎたが、28歳になったある日、過労で倒れてしまう。

「忙しい仕事だったっていうのもあるけど、人間関係にもつまずいていて、病院に行ったらドクターストップがかかっちゃって」

休職を余儀なくされた。これまでの忙しかった日々が嘘のように、何もすることのない日が始まった。

「当時彼氏もいなかったし、いきなり暇を持て余しちゃって。私これからどうしよう……って焦りはじめたんだよね。仕事ばっかりしてたら、一生ひとりなんじゃないかって」

そんな時、気晴らしに出向いた女友達との飲み会で、後の夫と出会うきっかけを掴むことになる。

「飲み会で女友達に『誰か気になる人いないの?』って聞かれた時に、ぱっとひとりだけ頭に浮かんだ人がいたんだよね。会ったこともない人だったんだけど、かっこいいなあって思ってて」

有紀が気になっていた男性は、有紀の友達の友達で、Facebookで時々見かけるだけの存在だった。有紀の友達は気を利かせてその場で彼に連絡、翌週には二人でデートする約束を取り付け、実際に会った二人はすぐに意気投合、半年後に同棲が始まった。

「休業していた仕事は退職してたし、30歳までには結婚したいって想いがあったから、すぐに籍を入れたんだよね。今思えば何をそんなに焦ってたのかって感じだけど」

アルバイトはしていたものの無職になった有紀。30歳という節目を迎え、「何者かにならないと」という焦りが、結婚へと急がせたという。

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結婚生活の破たん。それでも東京に留まる理由

しかし、結婚生活は、たった一年で終わりを迎えてしまう。

原因は、多くの離婚と同様にひとつではないが、そのひとつに彼の借金問題があった。有紀に内緒で抱えていた借金は280万。彼はSEの仕事をしていて高給取りだったので、すぐに返せる額ではあり、実際に半年もかからずに完済していた。けれど、『入籍前に大事なことを伝えられていなかった』というしこりはいつまでも残った。そういった信頼関係を揺るがす出来事の積み重ねにより、結婚生活は終わりを告げたのだった。

結婚生活が終わりを告げた後、一時は鹿児島に帰ることも考えたというが、最終的には2つの理由から東京に留まることを決めた。

ひとつ目の理由は趣味のダンス。有紀は東京に来てから、ハウスというダンスにハマっていて、週3日はダンスサークルに顔を出していた。ダンスを続けたい、それが東京に留まる大きな理由だった。

2つ目は、「まだまだ東京で見たいことがある」という好奇心だ。有紀は東京メトロが発行しているフリーペーパー『レッツエンジョイ東京』の発行を毎月楽しみにしている。

「フリーペーパーを見ながら、来月はこのイベントに行こう、あれを食べようって考えるのが好きなの(笑)。いつ地元に戻るかわからないから、今できることを精一杯楽しみたいんだよね。楽しみ尽くした後には、もしかしたら地元に帰りたいって思うかもしれないけど、それは今じゃない。今私の居場所は、鹿児島でも東京の家でもなく、『外』なんだって思う。とにかく、いろんな場所に行くのが好き」

先月里帰りしたという有紀。有紀の地元は1時間に電車が1本か2本しかこないような田舎だ。地元には2週間という長期に渡り帰省を予定していたため、出発前にマンションの横隣りと前の人たちに挨拶をしにいった。

「『2週間、家を空けるので何かあったらお願いします』って言いに行ったらさ、お隣の人が『じゃあ、何かあったら連絡しますね』って向こうから連絡先を教えてくれて」

一般的に「東京の人は冷たく、近所付き合いもあまりしない」というイメージはあるが、それは、もしかすると「東京の人はあまり近所付き合いしたがらないだろう」とお互い先読みして敬遠してしまっているだけなのかもしれない。

「お隣さんとは、それをきっかけに世間話とかするようになって、仲良くなっちゃった。東京の人が冷たいとは私は思わないな」

「人が好き」で「接客が好き」な有紀だからこそ、どこに行っても「人が好きな人」に出会えるのだろう。

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