「14ウーマン」の記事一覧(26 / 175ページ)

乳幼児を預かるために被告人が画策した計画と、母親が夜間保育を必要としていた事情/殺人シッター公判

 2014年3月に埼玉県富士見市で発生したベビーシッターによる2歳男児殺害事件。逮捕された物袋(もって)勇治は同月14日、山田龍琥(りく)君(2)とその弟を預かり、龍琥君を殺害したとして殺人罪に問われている。しかし物袋が問われている罪はこれだけではなく、多くの乳幼児に対する児童ポルノ禁止法違反や強制わいせつ等でも起訴されていた。昨年6月に横浜地裁で開かれていた物袋に対する裁判員裁判の様子を、連続しリポートしていく。

▼第一回:『殺人シッター』と呼ばれた男の長い起訴状
▼第二回:2歳男児はなぜ死亡したか 真っ向対立した検察側・被告側の主張

 第3回公判では龍琥君とその弟B君へのわいせつ誘拐、B君への保護責任者遺棄致傷についての審理が行われた。先述の通り、龍琥君とB君は2014年3月14日、埼玉県富士見市にあった物袋宅に預けられ、そのときに龍琥君は死亡し、B君は適切な保育を受けることができず重度の低血糖に陥った。これについて物袋は、龍琥君を殺害してはいないと否認し、B君についても保護はしていたと主張している。

 物袋は多数の児童に対する強制わいせつなどの罪でも起訴されているが、最も不可解なのはこの2人についての事件である。当時、龍琥君とB君の母親はどういった経緯で物袋に子供たちを預けることになったのか。母親には物袋に子供たちを預ける意志があったのか、起訴状には第三者の男性(Xとする)を介して2人が物袋に預けられることになったというが、このXとは何者か。この日の公判で全て明らかになった。一言で言えば物袋はXのことも、龍琥君B君の母親のことも騙して、子供を預かっていた。

つなぎのシッター計画に至る経緯

 まず最初に行われたのは、検察側の証拠取り調べである。物袋と被害者の母、そして子供たちの引渡しを頼まれたXと物袋のメールのやりとりが明らかになったほか、実際に発生したシッティング料や振込金額、被告からの請求書に書かれた金額についてのまとめなども証拠として提出された。その後、龍琥君とB君の母親の尋問、物袋に2人を預けた第三者Xの調書読み上げと続く。

 初公判の弁護側冒頭陳述で、そもそも物袋が龍琥君B君を預かったのは「未払い料金回収のためのきっかけ作り」であったと物袋は主張していた。“預かる動機にわいせつな意図はない”というのが言い分だ。さて証拠に上がった、龍琥君B君の母親と物袋間の金額のやりとりを見てみよう。

 二人が利用していたシッターマッチングサイト「シッターズネット」では、料金についてはあらかじめ双方で決めることになっていたようだ。龍琥君B君の母と物袋間での契約では「日給4000円、末締め翌月20日支払い。キャンセル料は2日前から発生。前日12時までは50パーセント。当日は100パーセント」となっていた。預けの実態としては2013年10月、11月、12月、2014年1月に母親は龍琥君B君の2人かB君のみを預けており、以降は保育を物袋に依頼していない。合計すると、実利用料とキャンセル料合わせて10万円になるが、物袋が龍琥君B君の母に送った請求書は20万円。龍琥君B君の母が振り込みした金額は10万6000円となっている。

 利用時間で計算したシッティング料と請求書の金額が合わないことに気づいた母親は、事件の数カ月前には、もうこのベビーシッター(物袋)は利用しないことに決めていたという。だが物袋側は請求書分を支払えと執拗で、なんと物袋の母から龍琥君B君の母の元に電話がかかり、裁判を起こすなどとも言われたことがあるらしい。

 事件の約10日前にも、龍琥君B君の母はシッターズネットでシッターを探していた。このとき物袋は、それまで龍琥君B君の母とやりとりしていたものと別のメアドを使い、別人を装って「ぜひお役に立ちたい」とシッティング業務を引き受ける旨の連絡をした。だが物袋は龍琥君B君の母と対面することを避けるように「つなぎのシッター」を探す。今度は物袋がシッターズネットに「19時ぐらいから22時まで」シッティングを頼めないかと書き込みをしたのだ。このとき当初はX以外のシッターと交渉していたが頓挫し、Xが「お役に立てるかもしれない」と名乗りをあげた。「代理の人間が一時預かることを依頼主様は了承している」と、真っ赤な嘘も伝え、Xを安心させた。手はずは整っていた。だがこの日は、B君が痙攣を起こしてしまい、母親の方からキャンセル申し出があった。くどいようだが母親はこのやり取りをしている相手を物袋だとは気づいていない。そして事件の14日お昼、再び母親がシッティングを依頼して来た。そして10日前と同じように物袋はすぐにこの依頼を受けるやいなや、再び「つなぎのシッター」を用意すべくXに連絡を取り、Xがこれを引き受けた。

「本日19時から1時間くらい、喫茶店でシッターをお願い出来ないでしょうか。私は残業があり、待ち合わせ場所の駅に向かうまで1時間1000円でお願いします、交通費とお茶代は支給します」

 残業でにっちもさっちもいかない困った状況の人を助けようと、預け一時預かりを引き受けたXは、母親から龍琥君B君を預かり、物袋に引き渡した。母親は子供らがXを経由して物袋のもとに預けられたことを知らなかった。3月16日に、子供たちを預けたシッター(物袋)と連絡が取れなくなったことからXに連絡を取り、そこでようやく事態を認識したのである。

母親が夜間の預け先を必要としていた理由

 メールのやり取りから母親は、夜からの仕事でシフトも直前に決まることが分かる。その勤務体制ゆえ、複数のシッターを利用せざるを得ず、明らかに日々の子供達の預け先に苦慮している点が見受けられた。それでも、困った保育者に手を差し伸べようというXのようなシッターもいたため、なんとか乗り切れるはずだっただろう。物袋のような者がいなければ。

 こうした証拠調べののち、龍琥君B君の母親の尋問が始まった(以下呼称を母親とする)。遮蔽措置が取られ、その外見はうかがい知れない。受け答えはしっかりとしており、尋問にのぞむ覚悟が伝わってくる。先ほどの証拠のメールのやりとりよりも、さらに詳細だ。

 またこの母親については事件当時、ネット上でその生活実態や子を宿泊で預けていたことに対して批判の声が見られたが、尋問を聞く限り、子を安心できる人に預けたいという思いを持っており、子育てそのものを放棄している様子も全くなかった。普通のお母さんだ。

 母親がシッターズネットの利用を始めたのは2013年9月。当時龍琥君は2歳、B君は生後3カ月だった。預ける目的は仕事のためだ。カラオケパブで接客業をしていたため、夜に預かってもらう必要があった。母親はシンママで、彼女の実父(子供らにとっては祖父)と龍琥君B君との4人暮らしだったのだが、別居している実母には持病があり、実父は仕事の帰りが遅く、また生後3カ月のB君の面倒を見ることは難しかったため、預けていたのだという。

検察官「夜の保育園に預けようとは?」
母親「思わなかったです。預けた時、勝手に髪を切られたり、大人の薬を塗られたりしたので」

 過去に夜間利用可能な保育園に預け、不信感を抱いたことがあるようだ。シッターズネットでシッターを頼んだことのある相手は5人。うち1人は物袋である。あとの4人は「子育て経験のある女性と、X」だった。物袋には2013年10月2日に初めて預け、最後が2014年1月11日。合計21回、うち17回は次男のみ預けをお願いした。当初の契約は一晩一人4000円。二人お願いすると兄弟割引が適用され一晩6000円だったという。

検察官「なぜ被告人に預けることにしたんですか?」
母親「自分の母親と一緒に面倒を見ていると言っていたことと、保育資格があり、保育園で働いていると聞いていたからです。子育て経験のある方に預けたかったから。他にも従業員がいると言っていました。お母さんのほかにもうひとり女性が働いていると。また送迎があることが私にとっては助かっていました」

 だが物袋はいつしか実家を出て埼玉県で一人暮らしをしていた。それを母親には告げていなかったようだ。保育資格もなければ他の従業員もいなかった。嘘で固めてベビーシッターという仕事をしていたのである。

 母親はその後、物袋との間のシッティング料金をめぐるトラブルのため、物袋に預けることをやめることを決心した。まず2013年12月、4回のB君のみの預けの利用で16000円のはずが、32000円を請求された。さらに翌月2014年1月、1回の利用と1回の当日キャンセルの利用にもかかわらず、32000円を請求されたのである。「1カ月分の月極料」と物袋には言われたが、そんな契約はしていなかった。納得いかないまま12月分は支払った。1月分の料金の根拠を訪ねたが物袋は「けじめだから」と言ったという。

 事件のとき、物袋は別のメアドを使い、別人になりすまして母親と契約している。このとき母親はまだ面談などを行わないなかで、物袋へのシッティングを決めたことになる。だが、物袋は信頼を勝ち取るために「子持ち女性」を装っていたようだ。「子がひきつけを起こして病院に連れていった」などと母親にメールを送っていた。

検察官「ほとんど何もその人物のことを知らなかったのに、なぜ預けていいと思ったんですか?」
母親「子供の面倒を見るシッターの中におかしな人がいる、子供に対してひどいことをするような人がいるなんて、思ってもみなかったからです」
検察官「シッターが子供にいたずらをしていると思ったことは?」
母親「なかったです」

 母親が当日、なぜ「つなぎのシッター」Xに一旦子供を預けてしまったのか? それも疑問に感じていたのだが、実は、母親は以前、Xに子供らのシッティングを頼んだことがあり、初対面ではなかったのである。事件はこうした偶然が重なって起きた。またXに子らを預けた時、母親はXのシッターとしての能力に安心感を抱き、信頼していたが、その後Xに継続的に預けを依頼することはなかった。それにもまた理由があった。

明日花キララちゃんが強めの黒ギャルになってチンポ狩り♡ しみけん絶賛の手コキで男の潮吹きも披露!

 完璧なルックスにモデル顔負けのスタイル――同性から見ても「可愛すぎる」AV女優さんたち。最近はTwitterやInstagramなどでも彼女たちの美貌を見ることができて、女性のファンも急増中です。AV女優さんたちは写真でもキレイだけど、カメラ越しでこそ本領を発揮する! そんな彼女たちの“エロ可愛い”AV作品を見ていきます。

強めギャルのきいたんがチンポ狩り♡

 AVジャンルにおいて、一定の人気を得ているギャルもの。AV女優の中にはギャル作品専門の女優さんもいたりしますが、あの明日花キララちゃん(28)も、肌をこんがりと焼いてギャル作品に出演しています。

 昨年リリースされた『街行くオヤジもイケメンも片っ端から逆ナンパギャル痴女集団リーダー明日花キララのヤリ部屋つれ込みガン上がりSEX』(S1 NO.1 STYLE)。この作品できいたんはギャルサーのリーダーに変身! いつものふんわりメイクから一転、アイラインばっちり&鼻筋のハイライトたっぷりで久々のギャルギャルしいメイク。2000年代のきいたんを彷彿とさせます。

 この撮影のためにきいたんはちゃんと肌を焼いていて、おっぱいの日焼け跡がなかなかエッチです。これぞ、黒ギャルの醍醐味!

 そして、持ち物やファッションもちゃんとギャル仕様。スマホもスワロフスキーでゴッテゴテにデコられていました。役への作り込みがすごい! 作中ではギャルらしく(?)ファストフードを食べるというシーンも。きいたんが「く~! オレンジジュースしみるねえ~!」って唸っていたのは思わず笑いましたが(笑)。

 ギャルサーといえば「和み系」「踊り系」などがありますが、きいたんがリーダーを務める「キララ会」は、「連れ込みヤリマン系」。キララリーダーのお気に召す男をこのアジトに連れ込み、性欲尽きる迄男を食い物にする、というギャルサー。

 キララリーダーはかなり強めのギャル。取り巻きたちに、イイ男を連れて来いと命令します。しかし取り巻きたちが連れてきたのはブサメン! もちろんキララリーダーは激おこぷんぷん丸ですが、取り巻きたちと絡むブサメンは予想に反してテクニシャンで……。それを羨ましそうに見つめて、とぼけて参加しようとするキララリーダーはなかなか憎めないキャラです。

 その後も取り巻きが連れてくるのはブサメンばかり(でもチンポは良くて取り巻きから強奪)。しびれを切らしてキララリーダー自ら街に繰り出してイケメンを逆ナンするも、その男が早漏チンポだったり……リーダーの鬱憤と性欲が溜まっていく中、取り巻きがやっとイケメンチンポを連れてきてくれました! しかも2人も! ちなみに片方は小田切ジュンさんでした。小田切さんを街中でハントした取り巻きがスゴイ。

 イケメンとの3Pも見どころですが、この作品で一番スゴかったのは、取り巻きが連れてきたブサメンを使って、キララリーダーがエロテクを伝授するといったシーン。ここできいたんはしみけんらも絶賛する手コキを披露します。射精後も手コキをし続けると、ブサメンが潮を大量に発射! すごい量の潮が出ていました。男の潮吹き、なかなか見れるものではないので、必見です。

現役アイドルA、「フライデー」セックス写真掲載! 超大物アスリートXとの本番動画も存在?

 8月4日発売の「フライデー」(講談社)に、“現役アイドル・A”とされる女性の「全裸セックス画像」が掲載された。近頃、素人と関係を持った芸能人の写真が流出する事件が頻発しているが、今回は写真ではなく動画であり、「実は『フライデー』以外にも複数のメディアに持ち込まれている」(芸能プロ関係者)という。

「掲載されたのは、3年前に“美人局”に関与したとされるGカップグラビアアイドル・Aの画像。誌面には動画のキャプチャーとみられる画像が複数公開されており、Aの全裸や、お相手の男性・Bとのキス中のバックショット、2人でベッドに寝そべる姿などが確認できます。同誌によると、Aはセックス相手の男性を部屋に呼ぶ前に、“行為”を指示したとみられる人間と電話で連絡を取っており、売春、さらには共謀して恐喝を企んでいた可能性も。Aが特定されれば、処罰は免れませんよ」(スポーツ紙記者)

 現在、業界内は今回の流出の話題で持ち切りというが、一方で、一部マスコミ関係者の間には、Aと“B以外の男性”の映像も出回っているようだ。

「『フライデー』に掲載されたのは映像のほんの一部に過ぎず、“本番中”とわかる過激な映像も存在するようです。しかも、B相手の映像だけではなく、さる芸能プロ幹部とのセックスが収められている動画も、同じく流出しているとのこと」(前出・関係者)

 なぜこのタイミングで動画が出回ったのかは不明だというが、“流出犯”は、さまざまな男性とAとのセックス動画を所有しているのではないかとささやかれている。

「Aと肉体関係を持ったことがある男性は、現在、戦々恐々としているのではないでしょうか。Aといえば、かねてから“超大物アスリート・X”との親密な関係がウワサされているだけに、もしビデオが存在すれば、Xの今後にも関わる危険性さえあります」(同)

 Aに関わってしまったばっかりに、Xは震える日々を過ごすことになるのだろうか。

関ジャニ∞の結婚観と女性観がおっさん丸出し。J-POPに見る結婚幻想と“女性の神聖化”

 錦戸亮主演ドラマ『ウチの夫は仕事ができない』(日本テレビ系/土曜22時)の主題歌は、関ジャニ∞が歌う『奇跡の人』(9月6日発売予定)だ。この歌詞が、関ジャニ∞ファンである若い女性たちに、容赦ない“ダメ出し”を突きつけ、昭和的な結婚観・理想の女性像を提示している。

 関ジャニ∞の7人がしみじみと語り合うような曲調の『奇跡の人』は、明るく爽やかなメロディーに、関ジャニメンバーの穏やかな歌声がのり、軽く聞き流すぶんには何の違和感もない。しかし歌詞をよく聞いてみると「おやっ?」と思うのだ。

 独身男性が自分はちゃんと結婚できるだろうか、そんな相手(歌詞では「奇跡の相手」)と出会えるだろうか、と「結婚」に思いを馳せるところから始まって、そうはいっても(結婚願望はあるけど)最近の若い女子にはロクなのがいないんだよな~といったニュアンスで、長いダメ出しを繰り広げる。聞いていると、結婚云々は建前で、最初からこっちより(若い女の子批判)をやりたかったんじゃないかと勘ぐってしまうくらい、ダメ出しパートが長い。

これが等身大のラブソング…?

 『奇跡の人』の作詞作曲は、さだまさし。かつて『関白宣言』という曲で一世を風靡した御人である(その曲が流行した当時、私はまだ生まれていなかったが)。ところが、どうやら今回の『奇跡の人』は、さだよりもむしろ関ジャニ∞のメンバーたちの結婚観や女性観を取り入れた曲だといい、そのことがファンをがっかりさせているようだ。

 ドラマ公式サイトによると、以前より親交のあったさだに曲作りを依頼したメンバーたちは、さだに現代版『関白宣言』はどうかと提案。そこでさだは、メンバーたちの「好きな女の子」「苦手な女の子」「本音」「建て前」を聞き、それらをまとめるかたちで『奇跡の人』を作り上げたという。また、「僕らの年齢になったからこそ歌える等身大のラブソング」という錦戸のコメントも掲載されている。

 つまり、『奇跡の人』は、現在32~36歳である関ジャニ∞の「本音」をぶちまけた「等身大のラブソング」であり、彼ら自身の「好きな女の子(理想の結婚相手)」と「苦手な女の子」をありったけ語っているということになる。10代からアイドルである彼らは女性からチヤホヤされるのに慣れていて、ゆえに女性に理想や幻想を抱きようもないんじゃないかと勝手に想像していたが、『奇跡の人』の歌詞を見る限り、彼らはむしろ、異様に女性を神聖視している。それとも、彼らはこれまで、歌詞に出てくるような“ひどい女性”とばかり付き合ってきたのか(いや、もちろん関ジャニ∞の本音=30代男性の本音とは言い切れないが。もし30代男性の大勢が本気でこんなことを思っていたら、そりゃ、婚姻率は下がるだろう)。

気の強い女はやっぱイヤ、という話

 曰く、最近の若い(女の)子は、こんなところがダメなのだという。

「プライドがむき出しで、下品で、自分にしか興味がなく、平気で嘘をつき、誰にでもため口を利き、朝から晩まで人の悪口を言い、利己主義を恥じることもなく、清潔感がなく、上から目線でものを言い、彼氏を支配しようとし、ありがとうとごめんなさいを言葉に出すこともなく、見てくればかりを気にし、一生懸命な人を笑い、スマホばかり見て目の前の彼氏を見ようとも会話しようともせず、言葉遣いと礼儀がなっていない」

 そして、ダメな子ばかりが目立つ世の中はなんて切ないんだと嘆く。まるでおっさんの説教だ。じゃあ結婚するならどんな女の子がいいのかというと、

「真面目で、色気があって、人が好くて、俺の友達を大切にし、笑顔、優しくて、男を上手に立て、気遣いも上手で、家庭的で、辛い時はそばにいてくれて、どんな時でもお互いの味方になり、元気で、明るい女性」

 な、なるほど……! まさしく“奇跡の人”だ。だいぶ昭和的な、一歩引いた女性を理想化しているように思えるが(昭和の時代だって実際、「女性はみんな一歩引いていた」かどうかなんてわからない)、このように一方的に都合のよい条件を備えた理想の女性が実在し、しかも自分と結婚できたとすれば、それは紛れもない奇跡であろう。ここに彼らの本音が詰まっているとしたら、相当、結婚に夢とか幻想を抱いていることがわかる。理想の女性の条件を並べ立て、俺もダメなところを直すから、君(まだ巡り合えていない「奇跡の人」)に会いたいよ…と思いを馳せたまま終わる『奇跡の人』は、おっさんが理想の結婚を語る曲といえる。90年代後半、まだ“関西ジャニーズジュニア”だった頃の関ジャニ∞のメンバーたちを知っている身としては何ともやるせない(こんなダサい歌詞を歌うおっさんになったのかっ)。

更新されない結婚幻想

 だがしかし、これって特段、珍しいタイプの楽曲でもない。だから「なんで目くじら立てるの?」「そういう女性が理想的に決まってるじゃん!」とキョトンとしてしまう若い男女もいるだろう。恋愛や結婚を歌う大抵のJ-POPでは、男/夫/父は強くて、女/妻/母は優しくて家庭的で美しくて、男は女を守り、女はそんな男を支える、といった構図の男性観・女性観が“あるある”で、2人が出会ったのは「奇跡」であり「運命」であり、2人の間にある愛や絆や信頼は「永遠」、2人が寄り添えばきっとどんな困難にも立ち向かうことができるし、乗り越えていける。

 たとえば湘南乃風の『純恋歌』(2006年)。男(「俺」)が初めて一途に愛した女(「お前」)に捧げる、といった体の歌詞だが、そもそも「俺」が「お前」に一目ぼれしたのは、「お前」がおいしいパスタを作る家庭的な女だったからで、「俺」が大貧民に負けてマジ切れした時も優しい笑顔を向けてくれる「お前」に、「俺」は癒され、「お前」を守りたいと思った……と、男女の役割や人柄が見事なまでにステレオタイプにのっとっている。

 福山雅治の『家族になろうよ』(2013年)は、近々結婚を考えている相手に「理想の家族像」を語りかけるような歌詞。「お父さんみたいな大きな背中」と「お母さんみたいな静かな優しさ」を持つことでどんなことも乗り越えていける家族になれる、と歌われる。これも、父なる男性はどんな時も堂々とし子供たちに背中を見せることが求められ、母なる女性はいかなる時もキレることなく辛抱強く子供たちを見守るべし、という、世間一般の理想の夫婦像・家族像を色濃く反映したものである。

 また、西野カナの『トリセツ』(2015年)は、タイトル通り、夫となる男性に向けたと思われる「私」の取扱説明事項がずらっずらと並べ立てられるのだが、その内容は、THE・ステレオタイプ化された「女ってこういうもの」にそっくりそのまま当てはまる。急に不機嫌になった時はわけを聞いても答えないけどほっとかれるとそれはそれで怒る(懲りずにとことん付き合ってね)、ちょっとした変化に気づいてほしいけど、気づいてほしくない事柄には気づかないでほしい、サプライズプレゼントや手紙が効果的、等々。

 今挙げた3曲は、結婚式ソングのド定番の曲だ。こうした曲がヒットするのは、その価値観がまだ本当の意味で古臭くなってはいないからであろう。男が女を守り、女は男を癒す。それを若い世代にも人気のある歌手が歌い、聴衆が涙する。奇跡、運命、愛、絆、永遠……結婚幻想は根深いし、男女の“理想像”は現実離れしたままだ。

イメクラ風俗嬢も困惑、定番の痴漢プレイで言葉責め、運動会のシチュエーションも!?

 風俗遊びの中に、「イメージプレイ」というものがあります。先生と生徒、上司と部下、などといったシチュエーションを設定して遊ぶプレイです。少しニッチなプレイなように感じますが、イメージプレイに特化した風俗店・イメージクラブ(イメクラ)は全国に点在しています。「俺が先生になるから、女子高生になりきって!」って頼むのは、どこか恥ずかしいですもんね……。

 とあるイメクラに勤めているさくらさん(21歳/仮名)も、「なかなかパートナーにお願いできないから、風俗でイメージプレイを楽しんでいる人は結構いると思う」と話します。

イメージプレイは演技力が重要!

 さくらさんが勤めているのは、デリヘル式の学園系のイメクラ。店にはさまざまな制服が用意されていて、学生(というテイの女性)とエッチなプレイを楽しめるという店です。コースの中に、学生に痴漢ができるというコースや、部屋を教室に見立ててプレイするというコースがあって、さくらさんいわく「一番人気は痴漢コースです」とのこと。

「痴漢コースって言っても、ホテルの一室でプレイするんですが(笑)。部屋に電車の吊革を掛けて、車内の音をプレーヤーで流すんです。お客さんが吊革に捕まっている女の子を自由に触って、痴漢している気分を味わえる、というもの。作り込みがチープですが、私は足を揺らして“電車に乗っている感”を出したりしていますよ。痴漢だから触られても小さく反応したり、抵抗したりします」

 さくらさんは、「イメージプレイは女の子側もだけど、お客さん側にも多少の演技力が求められる」といいます。“ホテルで痴漢”というおかしさに気づいて、我に返ってしまうと、一気に雰囲気がぶち壊れるとか。

「やっぱり戸惑うお客さんもいますけど、びっくりする位シチュエーションに没入するお客さんもいますよ。耳元で『本当は気持ちいいんだろ』とか『抵抗しているけど濡れてるじゃねえか』ってささやく人もいます。なかなか迫真の演技ですよ」

 さくらさんが勤めている店は、お客さん側がシチュエーションを提案することもできるそうです。AVでよく見る「マッサージ店でいつの間にかエッチなプレイ」や「お客さんが透明人間になってエッチないたずらをする」という驚きのものまで! 見えているのに、透明人間にいたずらされているフリをするのは、演技力がかなり求められそうです。

「一番戸惑ったのは“運動会”というシチュエーションですね。店に体操服のコスチュームがあるのでそれを着て、頭にはお客さんが持参したハチマキを巻いて。お客さんも同じ色のハチマキを巻いて。まず選手宣誓から始まるんですよ。ガチで拳を上げて『エイエイオー!』って言わされました(笑)。いろんな競技を“イメージ”でやっていくんですが、定番は綱引き。もちろんエア綱引きです。勝ち負けの裁量はそのお客さんが決めるんですが、大抵負けて、負けの責任を私にふっかけられて、エッチなお仕置きをされる、っていう流れでしたね。このお客さんは常連さんだっんですが、毎回運動会プレイでした。毎回綱引きで負けて、お仕置きされていました」

 さくらさんはイメクラ店の経験を通じて、「本当にさまざまな性癖があるんだな」と実感したそう。確かに運動会プレイは奥が深すぎます!

「フライデー」美人局“セックス動画”流出のアイドルAとは? 過去には「フジ月9出演」も

 8月4日発売の「フライデー」(講談社)が、現役アイドル・Aによる“美人局”の「証拠セックス動画」を入手したと報じている。誌面にはモザイク入りではあるものの、Aの全裸画像などが掲載されており、「場合によっては警察沙汰に発展しかねない」(スポーツ紙記者)と、業界内で物議を醸している。

 同誌によれば、今回流出した動画は3年前に撮影されたもので、裸のAと映っているのは青年実業家・B氏とのこと。Aは、自身が心酔するという芸能事務所社長・Cの仲介でB氏と出会い、肉体関係を結んだそうだ。しかも、AはC社長の指示で行為中の自分たちを盗撮し、その動画を使ってC社長がB氏を恐喝していたと伝えている。

「誌面には、一糸まとわぬ姿のAが、ベッドの上でBと会話をしたり、カメラにお尻を向けてキスしている画像が公開されています。また、記事の中では“Gカップ”や“写真集だけではなくドラマや映画にも出演”といったAを特定するヒントが散りばめられている。盗撮や恐喝が事実であれば、C社長だけでなくAも罪に問われかねない内容です」(同)

 同誌発売前日から、業界内ではAの情報が拡散されていたという。

「アイドルだけでなく女優としても活動するAは、過去にフジテレビ系“月9ドラマ”にも出演しています。しかし、芸能活動よりも、数々のトラブルで有名になった印象が強いです」(芸能プロ関係者)

 その“トラブル”には、今回と似たような流出騒ぎもあったようだ。

「Aは過去にも『セックス写真』絡みのトラブルが、一部週刊誌で報じられている。相手の男性が“芸能界の重鎮”と呼ばれる有名人だっただけに、業界やネットなどではそれなりの騒動になりましたが、本人は一切コメントを出しませんでした」(同)

 それでも、同騒動でスキャンダラスなイメージがついたAには、それに見合う過激なオファーも舞い込んでいた。

「この時期から、複数の社がAに対して写真集や映像などでヌードオファーを行っていたんです。ただ、Aはグラビアの経験があるとはいえ、『絶対に乳首は出さない』という主義を貫いており、実現には至っていません」(出版関係者)

 ポリシーとして守り抜いてきたヌードが、こんな記事で出てしまったことについて、A本人としては、自業自得では済まされない思いだろう。不可思議な流出騒動の今後は――。

「シャイ」は許されない?~みんなの前で「好きなもの」を発表するアメリカの “Show and Tell”

 今回はアメリカの幼稚園(キンダー)でおこなわれている「Show and Tell」(ショー・アンド・テル)について、徒然に書いてみたい。

 ショー・アンド・テルとは日本語で「見せて、お話」と訳されているように、園児が自宅から持ってきたお気に入りのオモチャなどをクラスメートの前で見せて、それについてお話しすることを言う。目的は以下のようにいろいろある。

1)自分の意見を主張する
2)大勢の前で話す
3)好きなものを「好き」と言い、先生や友だちに共感してもらうことによって「自己肯定感」を育む
4)「見せて、お話」をやり遂げることによる達成感
5)他の子供の「好きなもの」を見聞きし、多様性を知る

 スヌーピーのテレビ版アニメに、そのものズバリ「Show and Tell(邦題:見せて、お話)」というエピソードがある。チャーリー・ブラウンの妹、サリーが「アメリカで発明されたもの」についてクラスで発表し、その際、スヌーピーが助手を務めるという筋書きだ。ただし、これは発表するものについて事前にリサーチする高学年向けの内容だ。

 ショー・アンド・テルはアメリカ全土で普及、浸透している授業だがキンダー(幼稚園)で始め、小学校の低学年でも引き続きおこなう。アメリカの入学年齢は日本より早く、ニューヨークの場合、小学1年生は5/6歳児が混在する。したがってキンダーは4/5歳児、キンダーの前の “Pre-K” と呼ばれる幼稚園は3/4歳児が混在しており、子供たちはキンダーまたは Pre-K でショー・アンド・テルを始める。

 それほどの低年齢だと言語能力にバラつきがあり、持参したオモチャの「説明」などできない子供もいるが、そうした時期にとにもかくにも人前に立ち、話をするからこそ、大きな意味があると言える。

お話しが得意な子も、そうじゃない子も楽しんで

 以下のビデオはあるPre-K(3/4歳児)のショー・アンド・テル風景だ。

 いちばん最初に登場する男の子ルーカスはサッカーのトロフィーについて、かなり上手に説明ができている。先生は他の子供たちのお手本になるよう、意図的にルーカスを最初に指名したと思われる。カメラに向けてトロフィーを見せる時のルーカスの満足そうな顔つき! 最後に先生が「ルーカスに『グッドジョブ!』と言ってあげよう!」と言い、全員が口々に「Good job!」とルーカスを褒めている。

 次(1’33″)の「モンスター・トラック・スクールバス」を持ったケイデンはルーカスに比べると表情がおとなしめだが、「トラックのスイッチを押すと音が出る」ことをみんなに伝えたくてしょうがない様子がみて取れる。他の子供たちもトラックを目の前にすると「ワオ!」と驚いてみせる。いいなと思うと素直に口にする、もしくは人を褒める習慣がすでに身に付いているのだ。

 後半(9’10″)に登場する、人形を持った女の子ブリアナは自分からはほとんど喋らない。そこで先生が「お人形の名前はなに?」「ミシェルっていうの? みんな、かわいい名前だと思わない?」と、ブリアナの人形と他の子供たちをうまく繋げている。その後も先生が子供たちに人形に関連する質問を続けるので、集中力が切れかかっていた男の子たちも最後は人形を触ったり、抱きしめたりしている。ちなみにシャイにみえるブリアナだが、最初のほうで先生が「次は誰がやりたい?」と聞いた時には手を挙げていた。

 「お気に入りのオモチャ」を持参させるのは、幼い子供にとって話しやすい「ネタ」だからだ。ただし学校や先生によっては、もしくは学年が上がってくると、たとえば「家にある赤いモノ」「自分が生まれる前に作られたもの(ビデオテープやダイヤル式の電話など)」と条件を設定することもある。その場合、子供本人はそれほど関心を持っていなかったモノを選び、親から説明を受け、それを覚えて発表しなければならず、ハードルが高くなる。だが、それを繰り返すことによって、将来必要になるパブリック・スピーキング(公の場で話すこと)やプレゼンテーションの基礎力が養われる。

 なお、このビデオでは子供たちが一列にイスにすわっているが、一般的な教室で子供が前に出ておこなう、または全員が輪になり、一人が真ん中に立って発表するパターンもある。

オモチャで格差?

 実は少し前に筆者が「アメリカには Show and Tell というのがあって、これは日本でもやればいい」という趣旨のツイートをおこなったところ、4600もの「イイネ」がついた。同時にいろいろなリプライもいただいた。それによると、日本でも「ゆとり世代」以降は小学校で似た内容を「わたしのたからもの」「たからものをしょうかいしよう」といった名称でおこなっているとのこと。体験している世代は「楽しかった」、自分の子供が体験している世代も「楽しそうにやっていました」。さらに教育関係者から、子供を「ほめる」ことを奨励する動きもあると教えていただいた。

 だが、日本でショー・アンド・テルをおこなうことで派生するネガティブな副作用を憂う声もたくさんあり、これには本当に驚かされた。

1)所得格差が持参するオモチャに反映され、子供が傷つく→親が学校にクレーム→学校が対応に苦慮するであろう
2)ことさらに高価なオモチャでなくとも、数百円の学用品でも「嫉妬」「虐め」の対象となる
3)クラスメートに『ヘン』と思われないものを持参する。そのために好きでもないものを『好き』と嘘をつくのではないか
4)友だちの趣味のアラ探し大会になるのではないか
5)人前での発表が出来ない子もいる。その対応は?

 こうした意見の多くは、実際には当人または当人の子供がショー・アンド・テルを実体験していない層から出ていると思われるが、だからこそ頭を抱えてしまった。筆者自身は日本生まれの日本育ちながら、子育てはアメリカでしかおこなっておらず、日本の現在の教育環境に疎いことは確かだ。それにしても、アメリカで広く浸透している(言い換えれば、誰もが体験している)教育法に対し、少なくない数の人が実体験する前に否定的な「想定」をしてしまう日本の社会状況を憂えてしまったのだ。

 とりあえず、上記の意見に対するアメリカの実情を説明してみる。

1)アメリカには日本以上のとんでもない所得格差があるが、所得による地域的な住み分けが徹底しているため、富裕層と最貧困層の子供が同じ幼稚園・小学校に通うことは稀
2)アメリカでも「買ってもらえない」側の子供に「嫉妬」はあり、年齢が上がるとスニーカーなど高価な品を巡って問題も起こるが、幼稚園~小学校低学年の間は数ドルの文具で大ごとにはならない
3)幼稚園児~小学校低学年がそこまで空気を読むことはない。そもそも周囲を気にせず、堂々と自己主張をさせるための訓練
4)これも幼稚園児~小学校低学年レベルでは起こりにくい
5)シャイな子供は先生が支援する。親が希望すれば親の付き添いも可能。無理ならパス。無理強いはせず、何事に限らず「泣いてもやらせる」的な風土はない

アメリカと日本の国民性

 国民性に違いがあることは考慮しておくべきかもしれない。アメリカにも「シャイ」な子供はいるが、シャイの種類が日米で異なる。普段は口数が少なく、おとなしい子供も、たとえばマクドナルドで間違ったメニューを出されると、はっきり「違う」と言う。ショー・アンド・テルなどで鍛えられる部分も大いにあるが、就学前にすでに親を含む周囲の大人の自己主張振りを見て、自然に吸収しているのだと思える。

 筆者はアメリカに長年暮らしても、やはりメニューを間違えられても「ま、これくらいいいか」的な態度を取ることがある。しかし夫はアメリカ人であり、仕事上であれ、個人的なことであれ、「自分にはこれが必要/不要」をはっきりと口にする。子供の頃の「自分が好きなものは好きと言う」教育が転じてのことと思える。

 息子はそれを見て育った。したがって息子もシャイではない。幼稚園の頃、ショー・アンド・テルも大好きで、自分の番ではない日にもオモチャを持っていこうとしていたことを覚えている。現在、中学生となった息子は、得意な学科に限るとはいえ、クラスでのプレゼンテーションは好きだ。去年、学校のイベントで、息子を含むクラスメート3人が近隣の大学に出掛けて大学生の前でプレゼンテーションをおこなったが、3人とも「恥ずかしい」という気配は微塵も見せなかった。

 ちなみに筆者は渡米直後、ある大人しい男の子の親に「おたくのお子さん、シャイですね」と何気なく言い、気分を害されたことがある。その子のお母さんは、「いいえ、彼はシャイじゃないですよ」とはっきり反論してきた。アメリカ人の中には、シャイとは「自己主張が出来ない弱い人間」と捉える人がいるのだ。

 ニューヨーク市の教育庁が出している教育指針の「言語」(国語に相当、アメリカでは英語)のページには、以下のようにある。

Pre-K(3/4歳児)
学年度の終わりまでに全員ができるようにすること:
多彩な話題、経験、アクティビティについて、大人や友だちと会話

キンダー(4/5歳児)
学年度の終わりまでに全員ができるようにすること:
いろいろな目的(新しい情報を説明し、話し合う/質問をする/アイデア、考え、感情を表現する/想像力に富んだ会話と社会的な交流)のために話す

 こうしてアメリカの子供たちは、否応なく「自己主張」し、かつ「シャイではない」人格に育っていくのである。
(堂本かおる)

あやみ旬果ちゃんが、しみけんや森林原人とタイマン! “小細工・演出なし”のエッチに感じまくり♡

 完璧なルックスにモデル顔負けのスタイル――同性から見ても「可愛すぎる」AV女優さんたち。最近はTwitterやInstagramなどでも彼女たちの美貌を見ることができて、女性のファンも急増中です。AV女優さんたちは写真でもキレイだけど、カメラ越しでこそ本領を発揮する! そんな彼女たちの“エロ可愛い”AV作品を見ていきます。

男優ファンも必見の1本

 来月にAVデビュー6年目を迎えるあやみ旬果ちゃん(23)。AVの世界に入ったきっかけは、上京後、家の家賃を自分で払うためだったとか。「なんとなく始めた」という旬果ちゃんですが、今や人気女優のひとりとして、男性だけでなく女性からの人気も集めています。

 そんな旬果ちゃん、昨年にAV女優5年目を迎えるにあたって、『1VS1【※演技一切無し】本能剥き出しタイマン4本番 ACT.01 あやみ旬果』(プレステージ)というスゴイ作品をリリースしています。この作品は、旬果ちゃんと選ばれし4人の男優がタイマンセックスをするというもの。

 この作品は男性向けAV作品では珍しく、男優もフィーチャーされているので、AV男優ファンも楽しめる作品となっています。今回登場するのは、しみけんさん、吉村卓さん、黒澤透さん、森林原人さんの4人。

 まずひとり目は、しみけんさん! 会うなりムラムラMAXなしみけんさんは、旬果ちゃんにキスしまくり。それにちょっと照れる旬果ちゃんが可愛い。そんな旬果ちゃんのお尻を広げ、アナルを舐め始めるしみけんさん(さすがうんこ好き)。ちなみにアナル舐め、この後にもしていました……。

 しみけんさんとの絡みで面白かったのは、射精後のピロートーク。旬果ちゃんはちょっと物足りなかったみたいで、しみけんさんと「あとどれくらい(ヤレばよかった)?」「15分」「無理(即答)」ってやりとりをしたり、フニャチンになったしみけんさんのチンコをイジったり。なんだか仲の良い友達みたいな絡みをする2人は見ていて微笑ましかったです。

 その次は吉村さん。すんごい柄のビキニパンツを履いて、相変わらずのキモメンぶりを発揮していました。そして旬果ちゃんの全身、そして足の指まで舐め回す! 3人目の黒澤さんは、会うなり無言で挿入。高速ピストンが売りの男優さんで、終始旬果ちゃんのおっぱいがぷるぷる揺れていました。旬果ちゃんが痙攣するレベルで感じまくっていたほどです。

 ラストの森林さんは、共演回数も多く、旬果ちゃん的には「一番打ち解けている男優」とのこと。お互い下着姿で他愛もない話をするところから始まるんですが、その旬果ちゃんが終始笑顔で楽しそうなんですよね。さすが女優ウケナンバーワン男優! 黒澤さんとは打って変わって濃厚なキスから始まり、丁寧な前戯、そして挿入へ。4人の中で唯一2回戦までしていました。

 “小細工・演出なし”と謳っているのもあって、旬果ちゃん・男優たちの“素”が見れる作品。また、終始ドキュメンタリーちっくに作られていて、エロシーン以外も面白い! 旬果ちゃんのインタビューシーンも多いので、彼女を知るにはうってつけの作品です。

【作品視聴はこちらからイケます↓】
■PC版
■SP版

男子は弱音を吐く訓練をしよう。社会の意外な柔軟性に気付いたら、生きやすくなる――トミヤマユキコ×清田隆之『大学一年生の歩き方』

 ライターとして活躍する傍ら、大学教員として学生たちの悩みに寄り添ってきたトミヤマユキコさんと、同じくライターであり、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表として、これまで1000人以上の恋の悩みに耳を傾けてきたという清田隆之さん。

 お二人がしたためた、悩める若者たちに向けたマニュアル本『大学1年生の歩き方』(左右社)は、大学新入生の指南書としてはもちろん、人生のあらゆる局面を通しての「転ばぬ先の杖」として携えていきたい一冊です。

 若い時期に失恋をしておいたほうが良いことや、セクハラ・アカハラの捉え方などに話が及んだインタビュー前編では、『男/女という二元論的な括り方をしてはいけないものの、性別によってコミュニケーションのとりかたに異なる傾向が見られる』というお話がありました。学生たちを俯瞰で見たとき、男子のほうがコミュニケーションが雑な傾向がある……というものです。後編ではまず、そこを深堀りしていただきましょう。

▼前編
「転ばないため」ではなく、「安心して転ぶため」に――トミヤマユキコ×清田隆之『大学1年生の歩き方』

泣いている女の子には「なんで泣いてるの?」、男の子には「泣いちゃダメ」!

清田 やっぱり幼いときから「男子として・女子として」扱いに差をつけられてしまうというのも大きいような気がします。ノンフィクション作家・髙橋秀実さんの『男は邪魔!「性差」をめぐる探求』(光文社新書)という本には、泣いてる子どもに大人はどう声をかけるかという話が載っている。いわく、女の子には「いつまでも泣いてちゃダメ」と声をかけ、男の子には「男の子は泣くもんじゃない」と声をかけることが多いんだって。そうすると、女子は「なぜだろう?」と考えてしまう一方、男子は「そうか、男は泣いちゃダメなんだ」としか考えない。しかも泣き止むと「偉いね〜」とか褒められる。髙橋さんは「つまり、(中略)行為について内省を迫られるのが女の子で、責任を性別に転嫁できるのが男の子ということなのではないだろうか」と考察していたけど、こういう扱われ方の差によって、「自分はなぜ泣いてるんだろう」と自分の内部を観察したり、それを言語化したりする力の男女差がかなり開いていくのではないか……。それがコミュニケーション様式の差にも影響しているのではと考えてます。

トミヤマ 「男だから」「お兄ちゃんだから」とか、すごく雑な型にはめて思考停止している気がする。女の子も似たようなことは言われるけど、男の子の方がよりその型の種類が少なそうですよね。「男=泣かない、強い」みたいな感じで、個人に合わせてカスタマイズされていない。「これは清田くんらしくないからやめよう」なら百歩譲って許せるとしても、「男なんだからやめなよ!」っていうすごく雑な言い方で、片付けられてしまうのが悲しい。自分なりに型の形を変えたり、別の型を持ってくる能力があればいいですけど、そういう能力を持たない人は、ごく少ない手持ちの型でいくしかない。

清田 人々から恋バナを聞いていても、男子の恋バナは正直言っておもしろくない。話のディティールが豊かな女子の恋バナに比べ、男子は自己観察能力や言語化能力が圧倒的に劣っているから、マジで何を言っているかわからないのよ……。例えばケンカの理由を尋ねても「なんか知らないけど彼女が怒っててー、とりあえず謝ったら大丈夫でした」みたいな答えだし、恋人の好きなところを聞いても、「いや、フツーにいい子っすよ」って、本当にそれだけ(笑)。

トミヤマ 雑だなー。要は感情労働が苦手なんですよ。「思いやる」とか「察する」とか。

――それは生物学的な問題ではなく、後天的なもの?

トミヤマ 社会的なものだと思いますけどね。感情労働が苦手な男子を量産してしまうこの社会。

清田 それがジェンダー(社会的性差)と呼ばれるものでしょうね。男女で生まれつき脳みその構造が違うとか、そういう問題ではないと思う。って、自分も男なので全然笑えないんだけど……。

女子の“お茶”は、ちょっとした心の切り傷を癒すための文化

清田 「つらい」とか「しんどい」とかの感覚だけはあるんだけど、その捉え方がものすごく低解像度というか、どのようにしんどいか、なぜしんどいかを本人は具体的に認識できていないってことですよね。だから他人に上手に相談したり愚痴をこぼしたりすることもができず、でも人前では気を張って普通にしていないといけないから、なんとなく誰も気づかず、自分も把握できず。放っておくと病気が重篤化するみたいに、きつさがどんどん増していって、臨界点を超えるとドロップアウトっていうことがあると思う。

トミヤマ ドロップアウトする学生って、周りに何も言わないでひとりで決めてしまう子が多いんですよ。あとは早稲田大学だからというのもあるかもしれないんですけど、親の期待を一身に背負っている子たちがすごく多くて、「親のガッカリする顔が見たくない」って言うんですよね。それは見ていてすごく辛そう。

清田 マジメなタイプなんだよね……。

トミヤマ そうなんだよ〜! 「先生、最近しんどいんで話聞いてください、ついでにサイゼリヤも奢ってください」とかずうずうしく言えちゃう子だったら、うまいこと軟着陸できたのでは……という気もするので、やっぱり弱音を吐くのも訓練が必要なんですよね。特に男の子はそうだと思う。女の子は恋バナとか、昼から集合してお茶を飲むっていう文化があるじゃないですか。でも、よく考えたら、“お茶”って結局何してんだよって話ですよね。意味なく集合し、特にオチのない話をし、みたいな(笑)。でもそこで、ちょっとした心の傷みたいなものはある程度癒えるわけです。本当に重傷のときは男も女も大変ですけど、日常の切り傷レベルのときに何ができるかっていうのが、男と女ではおそらく違っていて。女子はだいたい小学生くらいで「とりあえずなんかあったら集まって喋る」という習慣が身につくパターンが多いので。

清田 女同士のお喋りって「オチのない話をダラダラと」ってレッテルを貼られがちだけど、本当はああいう対話が男の人には一番必要なんだと思う。相手が何を考えていて、相手の身にどういうことが起きていて、とかを交換し合うやり取りが“存在(being)を認め合う”ということだと思うんだけど、男社会はあまりそういうことを重視しない。ただそこにいるだけじゃ意味がなくて、“行動(doing)”、つまり何ができるかを重視する価値観に支配されている。女子がbeingを認め合うコミュニケーションを小学生のときからやってるとなると、大学に入るころには男女で大変な差がついているわけで。

――いわゆる「コミュニケーション能力」というものでしょうか。他者との距離の取り方や、気持ちの察し方などがかなり違ってきてしまうと。

清田 そもそも、男子と女子がイメージしている「コミュニケーション能力」って、絶対に別物だよね。男子のイメージするそれは「場を盛り上げる力」に近い。

トミヤマ バラエティ番組の司会か、ひな壇芸人のどっちかならOKってことですよね。それって女子のコミュニケーションにおいては求められてないかも。

清田 例えば知り合いに「ザ・男子」みたいな人がいるんだけど、彼は自分の気持ちを他人に話すのが怖いんだって。深みがないというか、「その程度なんだ」「そんなことがしたいんだ」って思われてしまうのが怖くて、欲望とか希望を表明したり、感情を説明したりすることができないらしい。だから、映画の感想とかを話すときにも「自分はここでグッときた」じゃなくて、「このシーンあの監督っぽいよね」とか、情報の方に走ってしまう。それってある意味、自分のbeingを隠して守る行為でもあるよね。だからいつまでたってもbeingが空洞のままになってしまう。

トミヤマ 大学という場は、そういう思い込みをどうにかできる場所なんですよ。会社組織ではないし、先輩後輩の関係もゆるいし。そこで「いろんな人がいるんだな」って思ってもらえれば、「こうでなくちゃいけない」という思い込みも少しは減るし、社会に出たときも、ある程度は楽にやっていけるのではないかなと思います。

キラキラ学生ってある意味究極のdoing人間だから、そのdoingがなくなったときに自分を支えられなくなるかもしれないなと思ったりします。でも、逆にドロップアウトしちゃう人って「俺のbeingはもうダメだ」って感じで、beの部分に関してものすごく卑屈になっているので、そういうときは「じゃあ、beは置いといて、doだけでもやってみたら?」って言いますね。そしたらちょっとbeも持ち直すかもしれないよって。そして、doingとbeingバランスを一番取りたがっているのが“普通”の人たちなんだと思います。

だからある意味、中途半端であるがゆえに人生を最も豊かに生きる可能性があるんですよ。キラキラでもなくアウトローでもなく、中途半端を超真剣に考えてくれたら、最高だと思います。上を見て嫉妬することもないし、下を見て馬鹿にすることもなくなりますから。中途半端な自分を全肯定してそこを磨いていくというか、半端な自分を愛でていくということができたらいいんじゃないですかね。

“変な自分”もうまく編集して渡せば、受け取ってくれる人はいる

――私は学生時代、早稲田大学でトミヤマさんの「編集実践」という演習を履修していたのですが、あの演習こそ、そういう「半端な自分」や「変な自分」を肯定する力を与えてくれる場だったなと思います。

トミヤマ 私が早稲田で受け持っている「編集実践」は、「自分の好きな題材で一冊のZINE(自主制作雑誌)を作る」という形式の演習なのですが、そこでは「あなたたち一人一人の心の中にいるマイノリティを出せ」と言っています。早稲田大学の学生としてのお前は知らん。普段は隠している、マイナーだったり変態だったり、常識から外れているようなところを出せ、と。

すると、「実は伊達巻が大好きで、正月になると一日一本のペースで伊達巻を食べてます」みたいな学生が登場する。一応、教室内では「どんなネタが出てきても引かない・却下しない」っていうルールを設けてあるので、自然と「お前の伊達巻き愛はわかった。じゃあこれをどうやっておもしろくするかみんなで考えようぜ」という空気になるんですね。「食べ比べレビューしなよ」とか「レシピが知りたいです」とか、みんなしてすごく必死に伊達巻のことを考える(笑)。そうすると、その学生は「たとえ変なところがあっても、社会って意外とそれを受け止めてくれる柔軟性があるんだ」ということがわかるようになる。ちょっと変なところがあったとしても、うまくアレンジすれば、意外と受け取ってくれる人はいるんだなって。

「“変な自分”は隠さなくていい。でもモロ出しだと引かれちゃうことある。でもうまくやれば完全に隠したり否定したりしなくてもよくなるんだよ。そうしたらあなたは楽じゃん」っていうことを伝えたいんですよね。

清田 その「受け入れられた」っていう実感は大事だよね。たぶん、「私はあなたに興味があります。あなたの存在を私は脅かしませんし、あなたがそこにいることを認めます」っていう空気さえ交換できていれば、コミュニケーションは男女関係なくグッドコミュニケーションとして成り立つと思うんだよね。それを大学の教室みたいな場所でできるっていうのはすごくいいと思う。

トミヤマ 私の演習だけじゃなくて、他の授業でも、自分のやり方次第で「おかしな自分のまま認めてもらう」っていうことは絶対にできるはずです。やっぱり、先生が期待している答えを言っているようでは、学生としてはまだ二流なんですよ。自分の中のマイナー性みたいなものをあえて出して、苦笑いとかする人もいるかもしれないけど、ある程度受け入れてもらえるって経験をしたほうが絶対いいです。それが「大学空間を活用する」ってことじゃないかなと。理想論かも知れないですけど、単位のためじゃなくて生きるために大学に行くべきだし、そのついでに単位が付いて来るんだって思って欲しいですね。もちろん勉強はしてほしいけど、それだって、生きるための勉強なんですよって言いたいです。

清田 でもそのときはなかなか分からないんだよね。「正解を言わなきゃ」とか、「みんなにスゲーって言われるような発表をしなきゃ」とか思っちゃう。外部の評価基準に身を委ねちゃうんだよね。でもそこで、「俺は伊達巻が好きだ!!」って言ってみる、そういう経験を1回か2回積むだけで、そこからの人生が全然変わってくると思う。耳を傾けてくれる他者、おもしろいと思ってくれる他者が目の前にいるってことを実感することはとても大事だよね。怖くても1回賭けに出てみて、ある意味“賭けに勝てた”っていう経験は積んでおいて損はない。強張りが取れるような心地よさがある。

トミヤマ 「俺は伊達巻食わねーけど、お前の伊達巻愛はわかったぜ」でいいんですよね。「みんなで一緒に食べよう」まではいかなくていい。わたしもその学生のことは大好きだけど、いまだに伊達巻き食べてないし(笑)。

即効性はない。だけど自分で自分を見るときの画素数が、ちょっとだけ上がる

トミヤマ これはやはり自分が教員だから思うことなんですけど、「でかい声でわかりやすいことを言う教員」って、学生たちからすごく人気があるんですよ。「えーっと……」みたいな感じで、迷いながらボソボソ喋る教員は人気がない。でもそれって、すごくdo重視じゃないですか! 単純明快な論理で話してくれて、1時間半聞いたら一つのテーマがスパンとわかって。

まあ、それもいいんですけど、「何言ってるかよく分からないけどなんとなく可愛いおじいちゃん先生」みたいな人もいるじゃないですか。ときには自分の動物的勘を信じて、そういう人のところに行ってみるのもアリだと思いますね。あふれ出るbeを感じて欲しいです。

清田 わかりやすい効果や対価といったコストパフォーマンス重視で授業を受けるのも悪くはないのかもしれないけど、「この先生なんか気になるんだよな」っていうフィーリングで選んでみるのもぜひオススメしたい。話をしばらく聞き続けていると、そのときはよく分からないんだけど、後々ちょっとずつ「自分が気になってたのってこういうことだったんだ」ってわかってきて、自分の中で考えたことがいろいろつながってくるという現象が起こる。勉強って、そういう体験がおもしろいわけじゃない。一種の勘みたいなものが働いて、話を聞いたり本を読んだりしながら言葉で追いかけていくと、だんだん自分の最初に感じたものの輪郭がはっきりしていく……っていうのは、地味だけど勉強の本質的な部分だと思う。感じたことや考えたことを言語化する力を養っておけば、いろんな場面で役立つと思う。

この『大学1年生の歩き方』だって、読んで10年くらい経ったころに突然「あれはそういうことだったのか!」ってわかることがあるかもしれない。即効性のある本ではないけど……そういうものがちりばめられているからこそ、大人の読者から反応がいいのではないかと思う。って自画自賛になっちゃうけど(笑)。

トミヤマ 明日から人生が劇的に変わる本ではないですね。いつ読んでいいし、何回読んでもいい。中学生が未来に思いを馳せてもいいですし、大人が過去を振り返ってもいいんです。即効性はないけど、自分で自分を見るときの解像度がじわじわと上がっていく。それだけは保証しますし、それが“自分の人生を豊かにする”ってことだと信じております!

___

トミヤマユキコ
1979年生まれ。秋田県出身。ライター/早稲田大学文化構想学部助教。『図書新聞』『タバブックス』『文學界』などで執筆中。著書に『パンケーキ・ノート』(リトルモア)がある。

清田代表/桃山商事
1980年生まれ。東京都出身。恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。失恋ホストやコラム執筆などを通じ、恋愛とジェンダーの問題について考えている。桃山商事の新刊『生き抜くための恋愛相談』(イースト・プレス)が9月に発売予定。

男子は弱音を吐く訓練をしよう。社会の意外な柔軟性に気付いたら、生きやすくなる――トミヤマユキコ×清田隆之『大学一年生の歩き方』

 ライターとして活躍する傍ら、大学教員として学生たちの悩みに寄り添ってきたトミヤマユキコさんと、同じくライターであり、恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表として、これまで1000人以上の恋の悩みに耳を傾けてきたという清田隆之さん。

 お二人がしたためた、悩める若者たちに向けたマニュアル本『大学1年生の歩き方』(左右社)は、大学新入生の指南書としてはもちろん、人生のあらゆる局面を通しての「転ばぬ先の杖」として携えていきたい一冊です。

 若い時期に失恋をしておいたほうが良いことや、セクハラ・アカハラの捉え方などに話が及んだインタビュー前編では、『男/女という二元論的な括り方をしてはいけないものの、性別によってコミュニケーションのとりかたに異なる傾向が見られる』というお話がありました。学生たちを俯瞰で見たとき、男子のほうがコミュニケーションが雑な傾向がある……というものです。後編ではまず、そこを深堀りしていただきましょう。

▼前編
「転ばないため」ではなく、「安心して転ぶため」に――トミヤマユキコ×清田隆之『大学1年生の歩き方』

泣いている女の子には「なんで泣いてるの?」、男の子には「泣いちゃダメ」!

清田 やっぱり幼いときから「男子として・女子として」扱いに差をつけられてしまうというのも大きいような気がします。ノンフィクション作家・髙橋秀実さんの『男は邪魔!「性差」をめぐる探求』(光文社新書)という本には、泣いてる子どもに大人はどう声をかけるかという話が載っている。いわく、女の子には「いつまでも泣いてちゃダメ」と声をかけ、男の子には「男の子は泣くもんじゃない」と声をかけることが多いんだって。そうすると、女子は「なぜだろう?」と考えてしまう一方、男子は「そうか、男は泣いちゃダメなんだ」としか考えない。しかも泣き止むと「偉いね〜」とか褒められる。髙橋さんは「つまり、(中略)行為について内省を迫られるのが女の子で、責任を性別に転嫁できるのが男の子ということなのではないだろうか」と考察していたけど、こういう扱われ方の差によって、「自分はなぜ泣いてるんだろう」と自分の内部を観察したり、それを言語化したりする力の男女差がかなり開いていくのではないか……。それがコミュニケーション様式の差にも影響しているのではと考えてます。

トミヤマ 「男だから」「お兄ちゃんだから」とか、すごく雑な型にはめて思考停止している気がする。女の子も似たようなことは言われるけど、男の子の方がよりその型の種類が少なそうですよね。「男=泣かない、強い」みたいな感じで、個人に合わせてカスタマイズされていない。「これは清田くんらしくないからやめよう」なら百歩譲って許せるとしても、「男なんだからやめなよ!」っていうすごく雑な言い方で、片付けられてしまうのが悲しい。自分なりに型の形を変えたり、別の型を持ってくる能力があればいいですけど、そういう能力を持たない人は、ごく少ない手持ちの型でいくしかない。

清田 人々から恋バナを聞いていても、男子の恋バナは正直言っておもしろくない。話のディティールが豊かな女子の恋バナに比べ、男子は自己観察能力や言語化能力が圧倒的に劣っているから、マジで何を言っているかわからないのよ……。例えばケンカの理由を尋ねても「なんか知らないけど彼女が怒っててー、とりあえず謝ったら大丈夫でした」みたいな答えだし、恋人の好きなところを聞いても、「いや、フツーにいい子っすよ」って、本当にそれだけ(笑)。

トミヤマ 雑だなー。要は感情労働が苦手なんですよ。「思いやる」とか「察する」とか。

――それは生物学的な問題ではなく、後天的なもの?

トミヤマ 社会的なものだと思いますけどね。感情労働が苦手な男子を量産してしまうこの社会。

清田 それがジェンダー(社会的性差)と呼ばれるものでしょうね。男女で生まれつき脳みその構造が違うとか、そういう問題ではないと思う。って、自分も男なので全然笑えないんだけど……。

女子の“お茶”は、ちょっとした心の切り傷を癒すための文化

清田 「つらい」とか「しんどい」とかの感覚だけはあるんだけど、その捉え方がものすごく低解像度というか、どのようにしんどいか、なぜしんどいかを本人は具体的に認識できていないってことですよね。だから他人に上手に相談したり愚痴をこぼしたりすることもができず、でも人前では気を張って普通にしていないといけないから、なんとなく誰も気づかず、自分も把握できず。放っておくと病気が重篤化するみたいに、きつさがどんどん増していって、臨界点を超えるとドロップアウトっていうことがあると思う。

トミヤマ ドロップアウトする学生って、周りに何も言わないでひとりで決めてしまう子が多いんですよ。あとは早稲田大学だからというのもあるかもしれないんですけど、親の期待を一身に背負っている子たちがすごく多くて、「親のガッカリする顔が見たくない」って言うんですよね。それは見ていてすごく辛そう。

清田 マジメなタイプなんだよね……。

トミヤマ そうなんだよ〜! 「先生、最近しんどいんで話聞いてください、ついでにサイゼリヤも奢ってください」とかずうずうしく言えちゃう子だったら、うまいこと軟着陸できたのでは……という気もするので、やっぱり弱音を吐くのも訓練が必要なんですよね。特に男の子はそうだと思う。女の子は恋バナとか、昼から集合してお茶を飲むっていう文化があるじゃないですか。でも、よく考えたら、“お茶”って結局何してんだよって話ですよね。意味なく集合し、特にオチのない話をし、みたいな(笑)。でもそこで、ちょっとした心の傷みたいなものはある程度癒えるわけです。本当に重傷のときは男も女も大変ですけど、日常の切り傷レベルのときに何ができるかっていうのが、男と女ではおそらく違っていて。女子はだいたい小学生くらいで「とりあえずなんかあったら集まって喋る」という習慣が身につくパターンが多いので。

清田 女同士のお喋りって「オチのない話をダラダラと」ってレッテルを貼られがちだけど、本当はああいう対話が男の人には一番必要なんだと思う。相手が何を考えていて、相手の身にどういうことが起きていて、とかを交換し合うやり取りが“存在(being)を認め合う”ということだと思うんだけど、男社会はあまりそういうことを重視しない。ただそこにいるだけじゃ意味がなくて、“行動(doing)”、つまり何ができるかを重視する価値観に支配されている。女子がbeingを認め合うコミュニケーションを小学生のときからやってるとなると、大学に入るころには男女で大変な差がついているわけで。

――いわゆる「コミュニケーション能力」というものでしょうか。他者との距離の取り方や、気持ちの察し方などがかなり違ってきてしまうと。

清田 そもそも、男子と女子がイメージしている「コミュニケーション能力」って、絶対に別物だよね。男子のイメージするそれは「場を盛り上げる力」に近い。

トミヤマ バラエティ番組の司会か、ひな壇芸人のどっちかならOKってことですよね。それって女子のコミュニケーションにおいては求められてないかも。

清田 例えば知り合いに「ザ・男子」みたいな人がいるんだけど、彼は自分の気持ちを他人に話すのが怖いんだって。深みがないというか、「その程度なんだ」「そんなことがしたいんだ」って思われてしまうのが怖くて、欲望とか希望を表明したり、感情を説明したりすることができないらしい。だから、映画の感想とかを話すときにも「自分はここでグッときた」じゃなくて、「このシーンあの監督っぽいよね」とか、情報の方に走ってしまう。それってある意味、自分のbeingを隠して守る行為でもあるよね。だからいつまでたってもbeingが空洞のままになってしまう。

トミヤマ 大学という場は、そういう思い込みをどうにかできる場所なんですよ。会社組織ではないし、先輩後輩の関係もゆるいし。そこで「いろんな人がいるんだな」って思ってもらえれば、「こうでなくちゃいけない」という思い込みも少しは減るし、社会に出たときも、ある程度は楽にやっていけるのではないかなと思います。

キラキラ学生ってある意味究極のdoing人間だから、そのdoingがなくなったときに自分を支えられなくなるかもしれないなと思ったりします。でも、逆にドロップアウトしちゃう人って「俺のbeingはもうダメだ」って感じで、beの部分に関してものすごく卑屈になっているので、そういうときは「じゃあ、beは置いといて、doだけでもやってみたら?」って言いますね。そしたらちょっとbeも持ち直すかもしれないよって。そして、doingとbeingバランスを一番取りたがっているのが“普通”の人たちなんだと思います。

だからある意味、中途半端であるがゆえに人生を最も豊かに生きる可能性があるんですよ。キラキラでもなくアウトローでもなく、中途半端を超真剣に考えてくれたら、最高だと思います。上を見て嫉妬することもないし、下を見て馬鹿にすることもなくなりますから。中途半端な自分を全肯定してそこを磨いていくというか、半端な自分を愛でていくということができたらいいんじゃないですかね。

“変な自分”もうまく編集して渡せば、受け取ってくれる人はいる

――私は学生時代、早稲田大学でトミヤマさんの「編集実践」という演習を履修していたのですが、あの演習こそ、そういう「半端な自分」や「変な自分」を肯定する力を与えてくれる場だったなと思います。

トミヤマ 私が早稲田で受け持っている「編集実践」は、「自分の好きな題材で一冊のZINE(自主制作雑誌)を作る」という形式の演習なのですが、そこでは「あなたたち一人一人の心の中にいるマイノリティを出せ」と言っています。早稲田大学の学生としてのお前は知らん。普段は隠している、マイナーだったり変態だったり、常識から外れているようなところを出せ、と。

すると、「実は伊達巻が大好きで、正月になると一日一本のペースで伊達巻を食べてます」みたいな学生が登場する。一応、教室内では「どんなネタが出てきても引かない・却下しない」っていうルールを設けてあるので、自然と「お前の伊達巻き愛はわかった。じゃあこれをどうやっておもしろくするかみんなで考えようぜ」という空気になるんですね。「食べ比べレビューしなよ」とか「レシピが知りたいです」とか、みんなしてすごく必死に伊達巻のことを考える(笑)。そうすると、その学生は「たとえ変なところがあっても、社会って意外とそれを受け止めてくれる柔軟性があるんだ」ということがわかるようになる。ちょっと変なところがあったとしても、うまくアレンジすれば、意外と受け取ってくれる人はいるんだなって。

「“変な自分”は隠さなくていい。でもモロ出しだと引かれちゃうことある。でもうまくやれば完全に隠したり否定したりしなくてもよくなるんだよ。そうしたらあなたは楽じゃん」っていうことを伝えたいんですよね。

清田 その「受け入れられた」っていう実感は大事だよね。たぶん、「私はあなたに興味があります。あなたの存在を私は脅かしませんし、あなたがそこにいることを認めます」っていう空気さえ交換できていれば、コミュニケーションは男女関係なくグッドコミュニケーションとして成り立つと思うんだよね。それを大学の教室みたいな場所でできるっていうのはすごくいいと思う。

トミヤマ 私の演習だけじゃなくて、他の授業でも、自分のやり方次第で「おかしな自分のまま認めてもらう」っていうことは絶対にできるはずです。やっぱり、先生が期待している答えを言っているようでは、学生としてはまだ二流なんですよ。自分の中のマイナー性みたいなものをあえて出して、苦笑いとかする人もいるかもしれないけど、ある程度受け入れてもらえるって経験をしたほうが絶対いいです。それが「大学空間を活用する」ってことじゃないかなと。理想論かも知れないですけど、単位のためじゃなくて生きるために大学に行くべきだし、そのついでに単位が付いて来るんだって思って欲しいですね。もちろん勉強はしてほしいけど、それだって、生きるための勉強なんですよって言いたいです。

清田 でもそのときはなかなか分からないんだよね。「正解を言わなきゃ」とか、「みんなにスゲーって言われるような発表をしなきゃ」とか思っちゃう。外部の評価基準に身を委ねちゃうんだよね。でもそこで、「俺は伊達巻が好きだ!!」って言ってみる、そういう経験を1回か2回積むだけで、そこからの人生が全然変わってくると思う。耳を傾けてくれる他者、おもしろいと思ってくれる他者が目の前にいるってことを実感することはとても大事だよね。怖くても1回賭けに出てみて、ある意味“賭けに勝てた”っていう経験は積んでおいて損はない。強張りが取れるような心地よさがある。

トミヤマ 「俺は伊達巻食わねーけど、お前の伊達巻愛はわかったぜ」でいいんですよね。「みんなで一緒に食べよう」まではいかなくていい。わたしもその学生のことは大好きだけど、いまだに伊達巻き食べてないし(笑)。

即効性はない。だけど自分で自分を見るときの画素数が、ちょっとだけ上がる

トミヤマ これはやはり自分が教員だから思うことなんですけど、「でかい声でわかりやすいことを言う教員」って、学生たちからすごく人気があるんですよ。「えーっと……」みたいな感じで、迷いながらボソボソ喋る教員は人気がない。でもそれって、すごくdo重視じゃないですか! 単純明快な論理で話してくれて、1時間半聞いたら一つのテーマがスパンとわかって。

まあ、それもいいんですけど、「何言ってるかよく分からないけどなんとなく可愛いおじいちゃん先生」みたいな人もいるじゃないですか。ときには自分の動物的勘を信じて、そういう人のところに行ってみるのもアリだと思いますね。あふれ出るbeを感じて欲しいです。

清田 わかりやすい効果や対価といったコストパフォーマンス重視で授業を受けるのも悪くはないのかもしれないけど、「この先生なんか気になるんだよな」っていうフィーリングで選んでみるのもぜひオススメしたい。話をしばらく聞き続けていると、そのときはよく分からないんだけど、後々ちょっとずつ「自分が気になってたのってこういうことだったんだ」ってわかってきて、自分の中で考えたことがいろいろつながってくるという現象が起こる。勉強って、そういう体験がおもしろいわけじゃない。一種の勘みたいなものが働いて、話を聞いたり本を読んだりしながら言葉で追いかけていくと、だんだん自分の最初に感じたものの輪郭がはっきりしていく……っていうのは、地味だけど勉強の本質的な部分だと思う。感じたことや考えたことを言語化する力を養っておけば、いろんな場面で役立つと思う。

この『大学1年生の歩き方』だって、読んで10年くらい経ったころに突然「あれはそういうことだったのか!」ってわかることがあるかもしれない。即効性のある本ではないけど……そういうものがちりばめられているからこそ、大人の読者から反応がいいのではないかと思う。って自画自賛になっちゃうけど(笑)。

トミヤマ 明日から人生が劇的に変わる本ではないですね。いつ読んでいいし、何回読んでもいい。中学生が未来に思いを馳せてもいいですし、大人が過去を振り返ってもいいんです。即効性はないけど、自分で自分を見るときの解像度がじわじわと上がっていく。それだけは保証しますし、それが“自分の人生を豊かにする”ってことだと信じております!

___

トミヤマユキコ
1979年生まれ。秋田県出身。ライター/早稲田大学文化構想学部助教。『図書新聞』『タバブックス』『文學界』などで執筆中。著書に『パンケーキ・ノート』(リトルモア)がある。

清田代表/桃山商事
1980年生まれ。東京都出身。恋バナ収集ユニット「桃山商事」代表。失恋ホストやコラム執筆などを通じ、恋愛とジェンダーの問題について考えている。桃山商事の新刊『生き抜くための恋愛相談』(イースト・プレス)が9月に発売予定。

サブコンテンツ

このページの先頭へ