「昼間たかしの「100人にしかわからない本千冊」」の記事一覧

エビデンスがなくても疑問を忘れるな。「ユリイカ」1988年11月号

 もはや、物書きの世界でも、竹中労の名前を出すと「誰?」であり、沢木耕太郎は「ああ『深夜特急』の人」である。

 知らない、読んでいないは構わない。大切なのは「こういう人物が書いた、こういう作品なのです」と話した時に、ピンとくるかこないか。それは「考えるな、感じるんだ」の世界。言葉を用いる仕事だが、言葉以前の部分で合わない人とは、会話する時間も億劫に思えてくる。

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キラキラ系メディアなどクソ食らえ!「別冊新評 ルポライターの世界」

 最近気づいたのだが、世の中には「ライター講座」と称するものが、いくつもあるようである。それらの説明を読んでみたが、ライターを生業にして稼ぐ方法や、訴求力のあるWebコンテンツの作り方なるものを「人気ライター」などが、教えてくれるらしい。

 これが役に立つのかどうかわからないが、自分には必要のないことだと思った。

 ただ、もしも文章で身を立てたいと思った時に、こう…

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実践のための「ニュー・ジャーナリズム」の復権 「スペクテイター」第33号

 この連載は「100人にしかわからない本」と銘打っている。なので、この本について言及するには、少々申し訳ない気持ちもある。

 2015年5月に発行された「スペクテイター」第33号(エディトリアル・デパートメント/幻冬舎)が、それである。

 この雑誌は年3回の変則的な刊行形式で、各号ごとに、ひとつのテーマを突き詰めていく。

 2月に発売された最新号では…

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取材の時にレコーダーなんか回すんじゃない!! ゲイ・タリーズ『有名と無名』

 連載回数も区切りを迎えたので、次はどのような本を紹介すべきかと考えて、ふと浮かんだのが、この1冊。

 すでに絶版になっている、この『有名と無名』(青木書店)は、ゲイ・タリーズの短編集として3分冊で刊行されたうちの1冊である。

 ほかの2冊、『名もなき人々の街』と『ザ・ブリッジ』も、物書きを志すなら読んでおくべき本。だが『有名と無名』は別格である。

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服を取り上げて内定辞退を阻止! バブル時代の就職活動は、非道だけれど羨ましい……

 ここまで、複数回にわたって、さまざまな雑誌記事をもとにバブルネタを取り上げてきた。

 結局、バブルも今も世の中はいつでも残酷な現実しかないものだというのが、筆者の想いである。

 けれど、バブル時代の現象として、ちょっと羨ましいことがある。それは、当時の大学生の就職活動である。

 当時は、まだ大企業間で「就職協定」が存在し、会社訪問の解禁日や内定の日…

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いつまで同じことをいってるんだ? 労働時間短縮「目標」だけはバブル時代と同水準の残酷

 昨年2月から始まったプレミアムフライデーって、どうなったんだろう?

 ちょうど最初のプレミアムフライデーの日は、某役所に取材にいっていた。話の合間に、今日は3時で上がりではないかと尋ねたところ「そんなわけないじゃないですか……」と苦笑。正直、プレミアムフライデーだと言って楽しんでいる人を、テレビの画面の中以外では見たことがない。世の中に実在しているか疑わしいものである。

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みなさん……そんなに「イカ天」面白いと思ってなかったんじゃないか?

<p> さて、前回(リンク)に引き続き話題は「イカ天」である。</p>

<p> この番組を中心としたムーブメントについては、拙著『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)でも多くのページを割いて執筆した。というか、途中からページが足りないので、編集者と相談してページ数を調整して、増やしてもらった。</p>

<p> それでも、まだ書き足りない。</p>

<p> この時代のバンドの音楽史的な位置については、専門の書き手がいるだろうから、そういう人たちの文献を参考にするといい。</p>

「女のコがパンツを脱ぐ!!」やらせ番組だと思われていた「イカ天」への期待

<p> 5月に上梓した『1985-1991 東京バブルの正体』(MM新書)は、ことのほかに話題となり、派生してさまざまな依頼もあり、ありがたいことこの上ない、今日この頃。</p>

<p> とはいえ、新書のページ数ゆえに、けっこうな部分を削除せざるを得なかった。というよりも、実際に本に記述したのは取材や調査で知った事実の十分の一程度か。まだまだ、書きたい衝動の収まらぬ事どもは、山の様にあるという具合である。</p>

バブル時代、東京から脱出を志す人々がいた──1989年「SPA!」地方会社の『ゆとり生活』を読む

<p> 何かと地方取材に行く機会が多い、今日この頃。どこの地方でも必ず、都会の喧噪を逃れて移住してきた人には出会うものである。</p>

<p> 最近は、地方の自治体が移住者を求めて、広く門戸を開く、いうケースも増えてきた。けれども、移住には覚悟が必要なもの。単に、都会に疲れて逃げてきたような人に、地方の狭い人間関係やしきたりは厳しい。そうして、せっかく移住した地域を恨んで姿を消す人も絶えない。</p>

<p> これだけさまざまな情報が飛び交い、移住のために最低限必要なことがわかっている時代であるにもかかわらず。</p>

住むならどっち!? 多摩と湾岸で迷ったバブル時代と80年代雑誌の“ユルさ”

<p> タイトルで「どっち」と書いたけれども21世紀の今、ほぼ決着がついているのは、ご存じの通り。</p>

<p> 多摩地域のボロ負けである。</p>

<p> その名前の通り、まるで神殿のような街が建設されたパルテノン多摩は陳腐なものになってしまった。そして、高度成長期以降、多くの人々が夢を抱いて住んだ多摩ニュータウンは、もはや完全なオールドタウン。歩道と車道の完全分離のように考え抜かれた都市計画も、いざやってみると夜道が危ないなどの危険ばかりを生み出した。</p>

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