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“時をかける少女”ならぬ“時をかけるアドルフ”あの男が芸能界デビュー『帰ってきたヒトラー』

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ドイツで大ヒットしたブラックコメディ『帰ってきたヒトラー』。70年という時間を経て、ヒトラー総統が現代にタイムリープしてきた!

 ベテランの脚本家やプロデューサーたちに「良いシナリオとは?」と質問すると、ほぼ同じ答えが返ってくる。「キャラクターが立っていること。キャラが立っていれば、物語は自動的に動き出す」と。主人公のキャラクターが面白ければ、脚本家やプロデューサーは頭を悩まさずとも、キャラが勝手に動き出し、事件を次々と呼び込んでくれるらしい。このキャラ立ち理論に従えば、これほど優れたシナリオは他にはないはずだ。なにせ主人公はナチスドイツの総統アドルフ・ヒトラーであり、しかも第二次世界大戦末期に死んだはずのヒトラーが現代社会にタイムリープするという奇抜な設定。“時をかける少女”ならぬ“時をかける総統”なのだ。ドイツ映画『帰ってきたヒトラー』の主人公は抜群のカリスマ性とお茶目さで、極右系の人のみならず刺激に飢えていた現代人をたちまち魅了してしまう。

 そうとうにブラックなコメディ映画『帰ってきたヒトラー』は、2012年にドイツで発表された同名ベストセラー小説の映画化。この物語の面白さはアドルフ・ヒトラーを主人公にするというタブー破りのキワモノ感に加え、舞台をテレビ局にしていることだ。1945年から現代にタイムスリップしてきたヒトラーは政治の世界ではなく、まずテレビの世界で怖いもの知らずの毒舌タレントとして絶大な人気を得ていく。視聴者は彼のことを「ヒトラーになりきったモノマネ芸人」だと思い込み、大笑いしながらテレビの中の彼に心酔するようになっていく。

 ユダヤ人を収容所送りにした冷血非道な独裁者のイメージが強いヒトラーだが、彼が率いたナチ党を選挙で第1党に選出したのはドイツ国民だった。不況にあえぐドイツ国民の不満をビンボー画家だったヒトラーは身に染みて理解しており、また演説によって大衆の心理をつかみ取る天才でもあった。なぜか第二次世界大戦末期の地下壕から現代のドイツに放り出されてしまったヒトラー(オリヴァー・マスッチ)は、最初こそ頭のおかしなホームレスと間違えられるが、気のいいキヨスクのオヤジの好意でキヨスクで一晩を過ごすと、置いてあった新聞や週刊誌を怒濤の勢いで読み尽くし、あっという間に現代ドイツの社会情勢を理解してしまう。彼は残虐な戦争犯罪者である前に純粋なひとりの愛国者だった。

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お笑い芸人として、現代に蘇ったヒトラー。ユニクロ系のカジュアルなファッションもチャーミングに着こなしてみせます。

 70年前の総統ファッションのまま街をうろつくヒトラーのことを、テレビ局をリストラされたばかりのディレクター・ザヴァツキ(ファビア・ブッシュ)はヒトラーによく似たモノマネ芸人だと勘違いする。テレビ局に復職したいザヴァツキからテレビ番組に出演しないかと誘われ、ヒトラーは快諾する。ヒトラーは自分が置かれた状況を冷静に分析し、柔軟に対応する適応力にも優れていた。そして何よりもテレビという新しいメディアを使って、ドイツ国民にメッセージを発することを望んでいた。

 テレビ番組に出演したヒトラーは水を得た魚だった。「雇用問題を解決することなく、ドイツの子どもたちに未来はない!」「移民の流入に歯止めを掛け、我々はドイツ国民としての誇りを取り戻すべきである!」。カメラの前に立つヒトラーは次々とドイツ社会が抱える問題点を斬っていく。彼のことをヒトラーのモノマネ芸人だと思っている視聴者たちは大笑いしながら拍手喝采を送る。それまで視聴率が低迷していたテレビ局は彼の出演シーンが高視聴率を叩き出したことから、出演番組を大幅に増やすことに。モノマネ芸人として売り出されたはずのヒトラーだが、次第にテレビというメディアを思いのまま牛耳るようになっていく。

 以前、これに良く似た物語に触れた気がして、自宅の本棚を調べてみた。小林信彦が1993年に発表した小説『怪物がめざめる夜』(新潮社)だった。『怪物がめざめる夜』は放送作家、小説家、記者、雑誌編集者たちが共同でネタを出し合うことであらゆる分野に精通した覆面のスーパーコラムニスト〈ミスターJ〉として夕刊紙や週刊誌で最強のコラムを連載するという内容だ。複合した人格を抱える〈ミスターJ〉は架空の存在のはずだったが、政治ネタや放送業界ネタにもタブー知らずで斬り込む〈ミスターJ〉に取材の申し込みが殺到。地方でくすぶっていた無名芸人に〈ミスターJ〉の顔を演じさせたところ、単なる操り人形だったはずの無名芸人が〈ミスターJ〉というキャラクターを与えられたことで独断で動き出し、メディアを煽動するモンスターとなっていく。才能ある人間がスターになるのではなく、メディアこそがスターを生み出すのだという真理が描かれており、今読み直しても古さを感じさせない。〈ミスターJ〉も帰ってきたヒトラーも最初は芸人という立場だが、メディアという権力を手に入れ、恐ろしいモンスターへと目覚めていく。

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プロパガンダの天才ヒトラーにとって、数字を稼ぐことしか考えていないテレビやインターネットを牛耳ることは容易いことだった。

 映画化された『帰ってきたヒトラー』には、さらに原作にはない面白さが加味されている。それは現代社会にヒトラーが蘇ったら、彼はどんな言動を見せ、周囲はどう反応するかをカメラで追ったセミドキュメンタリー的な趣向を盛り込んでいるという点だ。ディレクターのザヴァツキに連れられて、ヒトラーはドイツ各地を視察して回ることになる。公園やサッカーの競技場の前に総統スタイルで立っていると、自然とギャラリーが集まってくる。若者たちはヒトラーに握手やハグを求め、ヒトラーとのツーショット自撮りを始める。いつの時代もヒトラーは知名度抜群の人気者だ。中には「よく、そんな真似ができるな」と怒り出す者もいるが、ヒトラー役を演じた舞台出身のオリヴァー・マスッチはその都度、ヒトラーとしてアドリブで対応する。「僕はすっかり役にはまりこんでいたし、ヒトラーというマスクがしばらくは自分の顔の一部になっていたくらいだ。撮影時に車から出ると、いつも誰かが近寄ってきて、『ヒトラーじゃないか?』と言われたよ」とマスッチは振り返っている。

 アドリブを交えて、ヒトラー役をブレることなく演じ続けるマスッチの妙演と周囲のリアクションに笑いながら、ふと思う。一般大衆は政治的指導者のイデオロギーに共感して票を投じるのではなく、メディア対応の巧みな人物に票を投じるのだなと。帰ってきたヒトラーは、すぐにそのことに気づき、テレビタレントとして再デビューを飾ったわけだ。情報化社会がますます進むにつれ、抜群のプロパガンダ能力を持つヒトラーはこれから何度でも時を超えて現われることだろう。
(文=長野辰次)

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『帰ってきたヒトラー』
原作/ティムール・ヴェルメシュ 監督・脚本/デヴィッド・ヴェンド 出演/オリヴァー・マスッチ、ファビアン・ブッシュ、クリストフ・マリア・ヘルプスト、カッチャ・ベリーニ 
配給/ギャガ 6月18日(土)よりTOHOシネマズ シャンテほか全国順次ロードショー
(c)2015 MYTHOS FILMPRODUKTION GMBH & CO. KG CONSTANTIN FILM PRODUKTION GMBH
http://gaga.ne.jp/hitlerisback


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清原被告にぜひ観てほしいドキュメンタリー映画! マイケル・ムーア監督作『世界侵略のススメ』

<p> アポなし突撃取材で有名になったマイケル・ムーア監督の6年ぶりの新作ドキュメンタリー『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』は、多くの人にすすめたい映画だ。例えば覚せい剤所持で逮捕された清原被告は、ポルトガルではどんな薬物使用も罪に問われないことをこの映画で知ったら「栃木じゃなくてポルトガルに行っとけばよかった」と悔やむかもしれない。秋葉原殺傷事件を起こした加藤死刑囚は、ノルウェーには死刑制度がなく、しかも多くの重犯罪者たちに明るく優雅な一軒家が与えられていることに驚くかもしれない。世界は想像以上に広く、様々な価値観を持って暮らす人々がいて、米国や日本とは大きく異なる社会があることを、マイケル・ムーアはふんだんにジョークを交えて伝えている。</p>

記憶は思い出となり、やがて物語へ昇華していく。園子温監督が本当に描きたかった『ひそひそ星』

<p> 園子温監督って、人気なんでしょ? トレンドワードをチェックする感覚で『リアル鬼ごっこ』や『映画 みんな!エスパーだよ!』を劇場まで観に行った人はア然ボー然としたことだろう。会員制のバーに間違って入ってしまったような居心地の悪さを覚えたに違いない。綾野剛、山田孝之らが出演した『新宿スワン』は興行的に成功したが、原作つきで脚本も書いてないこともあり、園監督的には自分の作品という意識はないらしい。『ラブ&ピース』も含めて4本もの新作が2015年には劇場公開されたが、初めて園作品に触れる“一見さん”をドーンと突き放すような内容のものが続いた。『愛のむきだし』(09)や『冷たい熱帯魚』(11)でブレイクしてから、不遇時代に溜め込んでいたエネルギーを爆発させるかのように作品を量産し、さらにバンド演奏、小説執筆、芸人宣言と様々な分野での露出が続いた園監督の分裂症的な時期は収束に向かい、新しいステージでの活動が始まる。園監督の新しいスタートを飾るのが、シオンプロダクション第1回作品『ひそひそ星』である。<br />
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“霊性の震災学”と共鳴する樹海奇譚『追憶の森』自殺の名所でマシュー・マコノヒーは何を見た?

<p> タクシー運転手は不思議に思った。初夏にもかかわらず、女性客は厚手の冬服を着ていたからだ。行き先を尋ねると、女性客は被災の激しかった地名を告げた。運転手が「あそこはもう更地ですよ」と答えると、女性客は「私は死んだのですか?」と呟き、その姿を消した。今年1月に刊行されて話題を呼んだ『呼び覚まされる霊性の震災学』(新曜社)では、被災地のタクシー運転手たちが震災後に不思議な体験をしていること、また運転手たちはこの幽霊現象で出会ったお客たちに敬意を払っていることを伝えている。東北学院大学のゼミ生たちが『霊性の震災学』の調査をしていた頃、米国でも死生観をテーマにした一本の映画の製作が進んでいた。ガス・ヴァン・サント監督の『追憶の森』(原題『The Sea of Trees』)がそれだ。『追憶の森』では心に傷を負う米国人が、日本で不思議な体験をすることになる。『霊性の震災学』に通じるものを感じさせる。<br />
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テレビ中継されたのは戦争の真実か残酷ショーか アイヒマン本人が出演する『アイヒマン・ショー』

<p> 600万人が亡くなったとされるホロコーストで、いかに効率よくユダヤ人を強制収容所に移送できるかを計画したナチスドイツの戦争犯罪者アドルフ・アイヒマン。連合国側に顔が知られていなかったため、戦後は南米アルゼンチンで逃亡生活を送っていたアイヒマンだが、イスラエルの諜報機関モサドに見つかり、1960年にイスラエルへ強制連行。翌年4月から12月までイスラエルの首都エルサレムにて、“アイヒマン裁判”が開かれた。ユダヤ人虐殺を指揮したアイヒマンをユダヤ人国家が裁くということ、また戦時中の犯罪を戦後に作られたイスラエルの法律で裁くなど、様々な問題を抱えての法廷だった。</p>

生きづらさを感じる若者たちへの新しい福音か? 現代社会の黙示録『アイアムアヒーロー』『太陽』

<p> 行くところまで行きついた社会格差は革命を引き起こし、資本主義経済はやがて共産主義経済へと移行する。19世紀の経済学者カール・マルクスが提唱した“史的唯物観”だが、現状の資本主義体制が解体するのはもうしばらく先で、ひと握りの資本家への富の集中が当分は続きそうだ。いつまで待っても起きない社会革命の代わりに、若者たちの間でもてはやされているのが“ゾンビもの”と呼ばれるジャンルである。高度に発展した資本主義社会はゾンビ化した群衆たちの暴動によって破壊され、経済格差のないゾンビ社会へと向かっていく。現代社会に生きづらさを感じている若者たちを魅了する、崩壊のカタルシスがゾンビ映画には隠されている。<br />
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