日本人専門歓楽街タニヤ通りで生きる女と男の物語 『バンコクナイツ』に見る楽園のリアルな内情!!
バンコクにある日本人専門の歓楽街タニヤ通りで働く女たち。彼女らとのコミュニケーションは日本語でOK。
女、ドラッグ、拳銃……。男が欲しいものは、そこへ行けばすべて手に入るという。タイの首都バンコクは、自国に息苦しさを感じている男たちを否応なく惹き付ける魔力に溢れている。日本人専門の歓楽街タニヤ通りに繰り出せば、日本語の看板と妖しいネオンがきらめいている。店のドアを開くと、甘い匂いを漂わせたセクシーな美女たちがひな壇にずらりと並び、指名されるのを待っている。男たちの脳内物質を刺激して止まない、そんな夜の歓楽街へとカメラはごく自然に入っていく。そして、男と女の出逢いと別れのドラマをカメラは映し出す。富田克也監督ら空族によるインディペンデント映画『バンコクナイツ』は、日本映画でありながら今まで描かれることのなかったタイの内情とバンコクに集まる人々の心情を赤裸々に描き出していく。
富田監督は前作『サウダーヂ』(11)で自身の故郷・甲府を舞台に、地方都市で暮らす肉体労働者や外国からの移民たちのシビアな日常を描き、国際的な評価を得た。『サウダーヂ』に出てきた人々は働いても働いても楽にならない生活に疲れ、楽園に旅立つことを夢想する。そんな彼らの楽園願望を叶えてくれる先が、“ほほえみの国”タイだった。構想10年、製作に4年を要し、映像制作集団・空族を支援するファンから集まったクラウドファンディングで完成したインディペンデント大作が『バンコクナイツ』だ。この世界に楽園は存在するのか? そんな楽園での暮らしはどんなものなのか? レオナルド・ディカプリオ主演作『ザ・ビーチ』(00)とは異なるリアルな楽園像を空族は追い求めていく。
上映時間182分という長尺ながら、物語はシンプルさを極めている。日本人男性がタイの女性と恋に堕ち、楽園を目指すというものだ。バンコクのタニヤ通りで働くラック(スベンジャ・ポンコン)はお店でNo.1の人気嬢。裏パーティーに呼ばれたラックは、そこでかつて恋人だったオザワ(富田克也)と再会。元自衛官のオザワはバンコクに出てきたばかりのラックと出逢い、2人は恋に陥った。その後、オザワはネットゲームで日銭を稼ぐ、いわゆる海外沈没組に成り下がってしまう。高給マンションで暮らすようになったラックとは身分違いとなったが、それでも5年ぶりに巡り合った2人は焼けぼっくいに火が点くことに。そんなとき、オザワは自衛隊時代の上官・富岡(村田進二)からタイの隣国ラオス周辺の不動産の調査を依頼される。ラックの故郷イサーン地方は、ラオスとの国境に近い。オザワとラックはバンコクから抜け出すように、イサーン地方へと向かう。ラックの故郷で暮らす人々は、みんな純朴だった。自然が豊かで昔ながらの共同体が残るイサーンは、日本の高度成長期の田舎町を思わせ、どこにも居場所のないオザワの目にはまるで桃源郷のように映った。
ラックをはじめとするタイの女性たちは美しく、たくましく、そして情が深い。彼女たちはプロの女優ではなく、実際に夜の街で働く女たちだ。現在はバンコクで暮らし、プロモーションのために日本に帰ってきた富田監督は『バンコクナイツ』の舞台裏をこう語った。
富田「僕と脚本を担当した相澤(虎之助)の2人で夜のバンコクを歩き回って、『この子、いいな』という女の子たちに声を掛けていったんです。タニヤ通りの撮影は苦労しました。何度も通ってお願いしているうちに、『いつになったら撮るんだ?』と訊かれるような関係になった。タニヤ通り以外のシーンの撮影を先に済ませ、もう機は熟しただろうというタイミングでタニヤ通りでカメラを回そうとしたんですが、やっぱりダメで騒ぎになっちゃったんです。そこでようやくボスが現われて、呼び出されました。タニヤ通りは複雑で、最終的な話を誰につければいいのか分からなかったんです。僕らの切り札は、それまでに撮った映像だけ。ダイジェストをボスに見てもらったところ、『OK。パーフェクトだ!』と(笑)。翌日からはスムーズに撮影できるようになりました。撮影がOKになった要因として、この映画に出演してくれた女の子たちがみんなで『この人たちは悪い人たちじゃないよ。撮影させてあげて』と頼んでくれたことも大きかったと思います。『バンコクナイツ』が撮影できたのは、本当に彼女たちのお陰です」
タイ名物の三輪タクシー・トゥクトゥクに乗るラックとオザワ。富田監督はオザワ役も兼ねている。
タニヤ通りで働く女たちとそこに群がる日本から来た男たちとの関係を有りのままに映し出した前半のバンコク編から、中盤からはラックの故郷であるタイ東北部のイサーン編へ。タイ名物の三輪タクシーに乗ったオザワとラックは心地よい風を浴びながら、恋愛すらも金銭を介するバンコクを脱出する。ラオスとの国境が近いイサーン地方は、質素で人情味溢れる土地だった。異邦人ながらオザワは自分が生まれ育った日本からは失われしまったものが、ここには残っていることを実感する。身も心も癒されていくオザワ。だが、長く滞在していれば、当然ながら100%のユートピアがこの世には存在しないことが分かってくる。ノスタルジックさが漂う村だが、ここにはまともな産業がなかった。ラックの実家は彼女がバンコクで体を張って稼いだお金によって生活を維持していた。この村では女は娼婦に、男は出家して僧になるか軍隊に入るかしか道はなかった。地方都市の惨状を描いた『サウダーヂ』と同じように、“ほほえみの国”タイでも中央と地方との地域格差、搾取する側とされる側との大きな壁があることが明らかになってくる。
『サウダーヂ』に続いて『バンコクナイツ』でも共同脚本を務めた空族の相澤虎之助氏は90年代をバックパッカーとして過ごし、東南アジア各国の内情に詳しい。相澤監督作として東南アジアと戦争、麻薬の関係について掘り下げた『花物語バビロン』(97)や『バビロン2 The OZAWA 』(12)を撮っている。日本とタイを行き来する相澤氏にも話を聞いた。
相澤「タイ東北部のイサーン地方は、ラオスとの国境に近く、異なる文化や気質を持っている地域なんです。バンコクで働く娼婦やタクシー運転手たち出稼ぎ労働者の8割はイサーン出身だと言われているくらい経済的には貧しいけれど、ラオスの文化と交じり合った独特の音楽も生まれています。タイは歴史的に一度も植民地化されたことがなく、ベトナム戦争とも無関係だったと思われているけど、ベトナムへの米軍の前線基地がいちばん多く作られたのがイサーン地方であり、ゲリラが解放区を造ったのもイサーンだった。バンコクの歓楽街もベトナム戦争に従軍した米兵たちのためのリゾートとして誕生したという背景があるんです。欧米による植民地化が始まって以降、東南アジアの歴史にはずっと戦争と売春産業がセットになって刻まれているんです」
仏教国であるタイらしさを感じさせる出家式。ご近所さんが集まって、賑やかにお祝いする。
オザワのような旅行者にはパラダイスとして映っていたイサーン地方だが、その土地で暮らしているうちに楽園のダークサイドが次第に見えてくる。毎晩バーに現われるフランス人は世界各地を旅していたが、欧米が宗主国として君臨していた旧植民地にしか足を踏み入れていないことが分かる。深い森の中では、ゲリラ兵たちが今も幽霊となって戦いを続けていた。そしてオザワが国境を越えてラオスへと渡ると、そこにはより生々しい戦争の傷跡がむきだし状態で残っていた。大きな時代のうねり、歴史の流れをオザワは全身で体感することになる。
『サウダーヂ』同様に資本主義経済の波に呑まれ、下流層から脱することができない人々の哀歓を描いた『バンコクナイツ』だが、日本から離れたタイを舞台にしていることで、より鮮明に現代社会の問題構造が浮かび上がって見えてくる。ちなみに米国のラストベルトの荒んだ現状を描いたクリント・イーストウッド主演・監督作『グラン・トリノ』(08)で主人公コワルスキーの隣家で暮らしていたのはラオスからの移民であるモン族一家だった。相澤氏によるとモン族の多くはベトナム戦争の終結と共に内戦状態のラオスからタイのイサーン地方へと避難し、さらに米国に渡ったという。タイを舞台にした『バンコクナイツ』は、甲府を舞台にした『サウダーヂ』、そしてデトロイトの物語『グラン・トリノ』とも繋がっていることになる。
楽園の本当の姿を知ったオザワは、クライマックスで一丁の拳銃を手に入れる。大きな時代のうねり、社会の激流に、たった一丁の拳銃で立ち向かうことにどれだけの意味があるのか。迫りくる絶望に足を絡め取られそうになりながらも、それでも彼は生きることを選択する。それは幻の楽園を追い求めるのではなく、苦い現実世界に向き合うことに他ならなかった。
(文=長野辰次)
『バンコクナイツ』
監督/富田克也 脚本/相澤虎之助、富田克也
撮影・照明/スタジオ石(向山正洋、古屋卓麿)
録音/山﨑巌、YOUNG-G DJs/Soi48、YOUNG-G
出演/スベンジャ・ポンコン、スナン・プーウィセット、チュティンバー・ポンピアン、タンヤラット・コンプー、サリンヤー・ヨンサワット、伊藤仁、川瀬陽太、田我流、富田克也
配給/空族 2月25日(土)よりテアトル新宿ほか全国順次公開
(c)Bangkok Nites Partners 2016
http://www.bangkok-nites.asia
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