水道橋博士の“ダウンタウン共演NG”過去告白と、人気芸人たちの「トガリ」の歴史

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水道橋博士のオフィシャルブログより

 浅草キッドの水道橋博士が、キングコングの西野亮廣がMCを務めるインターネット番組『エゴサーチTV』(AbemaTV)に出演し、ダウンタウンと共演しなかった過去を語った。これは「忠臣は二君に仕えず」の精神から、ビートたけしに仕える自分が、ダウンタウンの影響を受けないために共演しないルールを自らに課していた。さらに、かつての若手芸人は派閥同士でエレベーターで会わないようにするなど、緊迫したムードが漂っていたと回顧した。

「今は、テレビのひな壇芸人は、みんなで和気あいあいがデフォルトですが、かつてはお互いが敵でありライバルだったのは確かですね。それは同じ事務所であっても同じこと。吉本興業が関東進出のために作った『銀座7丁目劇場』のボス的な存在だったいわゆる“東京組”の極楽とんぼの加藤浩次が、ペナルティやロンドンブーツ1号2号をはじめとする後輩芸人に『関西芸人としゃべるな』と厳命していたのはよく知られている話です」(業界関係者)

 東西の共演NGばかりではない。各芸人がそれぞれにトガっており、あの人気芸人も今とはまったく異なるキャラクターだった。

「持ち前の明るさで人気芸人となったアンタッチャブルのザキヤマこと山崎弘也は、まったくしゃべらず、前に出ないことがあえてクールといった振る舞いを貫いていました。今とは180度違いますよね。ザキヤマの兄貴分だったくりぃむしちゅー(当時は海砂利水魚)の有田哲平も同様です。さらにイジられキャラとしてブレイクしたアンジャッシュの児嶋一哉も、しゃべらず『孤高の天才みたいな感じで行きたかった』と名古屋ローカルのバラエティ番組『太田上田』(中京テレビ)で暴露し、笑いを誘っていましたね」(前出・同)

 今となっては信じられない話だが、ほんの15年~20年前にはピリピリ張り詰めたシビアな世界が存在したのだ。
(文=平田宏利)

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