『社にほへと』開発中止で、神社本庁を“悪玉”にする人の不可思議から考えたこと

<p>「どう読んだら、神社本庁にヘイトをぶつけることができるのだろう」</p> <p> ここ数日間、そんなことを考えた。</p> <p> 自分が書きたいテーマを身体で感じ取るために、さまざまな人に出会い、現場へと参加する。それが、文章を書くための基本だと思っている。「参加」とはいうけれど、実際には「覗き屋」である。すでに終わってしまった過去の出来事には参加できないし、取材すべき人物と行動を共にするといっても、限界はある。だから「覗き屋」なのである。大手メディアの報道や、学者・批評家の類いは、上から覗いて、すべてを知った気になるものだ。</p>

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