「20パンドラ映画館」の記事一覧(3 / 14ページ)

記録よりも記憶に残る“裏方夫婦”の映画年代記! 『ハロルドとリリアン』がいたから名作は生まれた

<p>日本語の“裏方さん”にあたる外国語を調べたことがあるが、なかなかピンとくる言葉に出逢えなかった。英語だとunsung heroという言い回しがあるが、どうも脚光を浴びそびれた人、記録に残らなかった人、という残念な意味合いが感じられてしまう。日本語の“裏方さん”には親しみと敬意が込められているが、欧米文化にはそういった感覚はないのか。そんな疑問に答えてくれたのが、現在公開中のドキュメンタリー映画『ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー』だった。</p>

<p>『ハロルドとリリアン』の主人公であるハロルド・マイケルソン&リリアン・マイケルソンは、それぞれ絵コンテ作家、リサーチャーとして戦後のハリウッド黄金時代に大活躍した伝説の裏方夫婦だった。夫ハロルドの絵コンテ作家としての凄さがよく分かるのは、旧約聖書の出エジプト記を実写化した『十戒』(56)の海がまっぷたつに割れるシーン。映画史に残るこの名シーンを、イメージボードにしてまず描いてみせたのがハロルドだった。<br />
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リリー・フランキー、橋本愛が宇宙人として覚醒!? 三島由紀夫のSF小説『美しい星』を映像翻訳化!!

<p> 天才の考えていることは、よく分からない。自伝的小説『仮面の告白』を24歳のときに執筆し、若くして成功を収めた三島由紀夫は、やりたいことをやり、書きたいことを書き、そして市ヶ谷の自衛隊駐屯地で割腹自殺を遂げ、45年間の生涯の幕を閉じた。ノーベル文学賞の候補に挙げられる一方、自衛隊の演習機に乗って子どものようにはしゃぐ童心を持ち合わせていた。空飛ぶ円盤の観測にハマっていた時期もあり、そんな天才作家・三島由紀夫が唯一のSF小説として発表したのが『美しい星』だった。コメディなのか、マジなのか、判別できない奇妙な味わいのある1冊である。</p>

<p> 三島文学を語る際にスルーされることの多い『美しい星』だが、1980年代に入って、鹿児島から上京してきたひとりの青年がその奇妙さに魅了される。大学で映画サークルに所属していたその青年は卒業後、CMディレクターとしてキャリアを積み、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』(07)で監督デビューを果たし、『桐島、部活やめるってよ』(12)、『紙の月』(14)とヒット作を連発するようになった。吉田大八監督である。原作小説を読んでから30年、吉田大八監督は念願の『美しい星』を映画化した。</p>

他言語を学ぶとは新しい世界観を手に入れること。新時代の扉を開ける宇宙からの福音『メッセージ』

<p> かつてアメリカ大陸はインディアンが自由を謳歌する楽園だったが、白人入植者たちの勘違いによって長い長い殺戮の歴史が始まった。インディアンには土地を所有するという概念がなく、白人入植者たちが土地を譲渡してもらう代わりに渡した銃やナイフをプレゼントだと思って喜んで受け取った。ところがインディアンがいつまでも土地から出ていかなかったため、契約違反だと怒った白人たちはインディアンの大量虐殺を始めた。人類はそんなコミュニケーションの行き違いによる悲劇を何度何度も繰り返してきた。『ブレードランナー2049』(10月公開)でも注目されるドゥニ・ヴィルヌーヴ監督のSF大作『メッセージ』(原題『ARRIVAL』)は、人類と地球外生命体とのファーストコンタクトを描いたもの。SFファン以外にも様々なインスピレーションを与えてくれる魅力に溢れた作品となっている。</p>

<p>『メッセージ』の主人公はひとりの女性言語学者。ルイーズ・バンクス(エイミー・アダムス)は別れた夫との間にひとり娘ハンナがいたが、病いによってハンナは若くしてこの世を去った。心にぽっかり空いた穴を埋めるべく言語学の研究に勤しんでいたルイーズのもとに、米軍大佐のウェバー(フォレスト・ウィテカー)が現われ、米軍の極秘調査に協力して欲しいと頼む。折しも世間は宇宙から飛来した巨大飛行体のニュースで大騒ぎとなっており、その宇宙人とのコミュニケーション方法をルイーズに考えてほしいという依頼だった。ウェバー大佐が持ってきた音声データだけでは、宇宙人が何をしゃべっているのか見当もつかない。エイミーは宇宙人と直接会うこと以外に彼らの言語を理解する方法はないと進言する。</p>

恐怖の向こう岸で待っているのは一体何なのか? シャマラン監督が導き出した回答『スプリット』

<p> グリム童話「ヘンゼルとグレーテル」「赤ずきんちゃん」を“無縁社会”という現代的キーワードで解釈し直したホラーサスペンス『ヴィジット』(15)で復活を果たしたM・ナイト・シャマラン監督。大ヒット作『シックス・センス』(99)は現代版『雨月物語』、『ヴィレッジ』(04)はレイ・ブラッドベリの古典的SF小説のオマージュ作として楽しむことができる。ネタそのものは昔からあるものを、新しい視点で描くことに優れた演出家だ。そんなシャマラン監督が新たに再発見したのが“多重人格”。ハリウッドでは『イブの三つの顔』(57)をきっかけに度々取り上げられてきた題材だが、シャマラン監督は密室サスペンス『スプリット』を極めてオーソドックスに、かつ新解釈を交えてスリリングな物語へと昇華させている。</p>

<p> 幼少期に虐待されたなどのトラウマによって人格分裂が生じると言われる多重人格(解離性同一性障害)。これまでに『サイコ』(60)ではアンソニー・パーキンス、『真実の行方』(96)ではエドワード・ノートン、NHKドラマ『存在の深き眠り』(96)では大竹しのぶ、といった実力派俳優たちが多重人格者役を熱演してきた。『スプリット』で多重人格者に挑んだのはジェームズ・マカヴォイ。『ナルニア国物語/第1章 ライオンと魔女』(05)の“半神半獣”タムナスさんから、『フィルス』(13)で演じたコカイン中毒の悪徳刑事、『X-MEN』シリーズの超人たちを束ねるプロフェッサーXまで、作品ごとに異なるキャラクターを演じ、多重人格者にはうってつけ。本作では23もの人格をもつ主人公を演じている。</p>

嫌な予感しかしない東京で見つけたささやかな灯り 石井裕也監督『夜はいつでも最高密度の青色だ』

<p> 自由を手に入れるということは、孤独さを受け入れるということでもある。都会で暮らす若者たちのそんな自由気ままさと背中合わせの孤独さを、繊細な映像を積み重ねることで描いてみせたのが、石井裕也監督の最新作『夜はいつでも最高密度の青色だ』。石井裕也監督(1983年生まれ)とはほぼ同世代である詩人・最果タヒ(1986年生まれ)の詩集『夜はいつでも最高密度の青色だ』(リトルモア)からの引用やアニメーションを散りばめながら、2020年の五輪開催に向けて再開発が進む東京の景観と時流に迎合できずにいる若者たちの屈折した心情をスクリーンに映し出していく。</p>

<p> 大阪芸術大学の卒業制作『剥き出しにっぽん』(05)で監督デビューを果たし、満島ひかり主演作『川の底からこんにちは』(10)がスマッシュヒット。さらに『舟を編む』(13)で国内の映画賞を総なめした石井裕也監督。満島ひかりとの共同生活は5年ほどでピリオドを打つことになったが、3年ぶりの劇場公開作となる『夜はいつでも最高密度の青色だ』は第二のデビュー作と呼びたくなるほど瑞々しい作品となっている。</p>

恋も青春もすべて終わったときに値打ちがわかる。ウディ・アレン至高の境地『カフェ・ソサエティ』

<p>人が人を好きになるという気持ちは法律で縛ることはできないし、世間の常識というフェンスが遮っていれば逆にそのフェンスを乗り越えてみたくなる。好きになってしまったものは、もうどうしようもない。映画監督として60年以上(!)のキャリアを誇るウディ・アレンは、そんなアンモラルな恋愛模様をたびたび描いてきた。『マンハッタン』(79)ではダイアン・キートンとマリエル・ヘミングウェイ、『それでも恋するバルセロナ』(08)ではペネロペ・クルスとスカーレット・ヨハンソン……。タイプの異なる美女の狭間で、主人公はまるで永久機関のように反復運動を繰り返してきた。ウディ・アレンの分身役を同じユダヤ系であるジェシー・アイゼンバーグが務める『カフェ・ソサエティ』も2人の美女をめぐるトライアングル・ラブストーリーが奏でられる。</p>

<p> ウディ・アレン監督の初期の傑作コメディ『泥棒野郎』(69)がその後『カメレオンマン』(83)へと進化していったように、今回の『カフェ・ソサエティ』は世界中で大ヒットを記録した『ミッドナイト・イン・パリ』(11)の変奏曲のような内容だ。『ミッドナイト・イン・パリ』では主人公のギル(オーウェン・ウィルソン)は婚約者のイネス(レイチェル・マクアダムス)との結婚を控えていたが、旅先のパリで酔っぱらい、1920年代のモンパルナスへとタイムスリップ。スコット・フィッツジェラルドやアーネスト・ヘミングウェイたちと酒を呑み交わしていたギルはピカソのモデル兼愛人のアドリアナ(マリオン・コティヤール)と出逢い、ひと目惚れしてしまう。現実世界の婚約者イネスか、憧れの時代である1920年代のアドリアナか、自分が選ぶべき相手はどちらかでギルは頭を抱えることになる。</p>

吉祥寺から消えた映画館から生まれた『PARKS』過ぎ去った記憶と現代とを音楽で結ぶという試み

<p>吉祥寺は地方出身者にとっては居心地のよい街だ。同じJR中央線にある高円寺ほどテンションが高すぎず、国分寺や国立ほどハイソでもない。古い店と新しい店がほどよくブレンドされて並んでいる。そんな吉祥寺という街のランドマーク的存在だった映画館バウスシアターが閉館したのが2014年6月。最終プログラムとなった音楽映画『ラスト・ワルツ』(78)の終演後のあいさつに立ったオーナーの本田拓夫さんは「物語には続きがある」という言葉を残したが、その言葉が実現化した。ハードウェアとしての映画館は消えてしまったけれど、代わりに生まれてきたソフトウェアが映画『PARKS パークス』。バウスシアターにたびたび通っていた橋本愛主演作として、「井の頭公園」開園100周年にあたる17年に完成した。</p>

映画製作を禁じられた国際派監督のトンチ人生!! 車中から見えてくるイランの内情『人生タクシー』

<p> マーティン・スコセッシ監督の名作『タクシードライバー』(76)から、ジム・ジャームッシュ監督の『ナイト・オン・ザ・プラネット』(91)、梁石日の小説を映画化した『月はどっちに出ている』(93)、ジェイミー・フォックスが犯罪に巻き込まれる『コラテラル』(04)など、タクシー運転手を主人公にした作品は味わい深いものが多い。タクシー映画ではタクシーが走る街そのものが主人公であり、またそんな街に身の置き所を見つけることができずにいるタクシー運転手の哀愁も排ガスと共に漂う。2015年のベルリン映画祭で金獅子賞を受賞したイラン映画『人生タクシー』もまた、ワケありなタクシー運転手のドラマだ。</p>

<p> ジャファル・パナヒ監督の『人生タクシー』(原題『TAXI』)が他のタクシー映画と比べてかなりユニークな点は、パナヒ監督自身がタクシードライバーとして登場するということ。POVスタイルの作品となっている。パナヒ監督はワールドカップのイラン戦を生観戦するために男装してスタジアムに忍び込む女の子たち(イランでは男性競技を女性が見ることを禁じている)を主人公にした『オフサイド・ガールズ』(06)などのドキュメンタリータッチの作品で国際的に高い評価を得ている。だが、現在のイランでは自由な表現活動は認められておらず、パナヒ監督の師匠にあたるアッバス・キアロスタミ監督はイタリアや日本で映画を撮るようになり、16年にパリで客死している。母国で映画を撮り続けていたパナヒ監督だが、『オフサイド・ガールズ』や仮釈放中の女囚たちを主人公にした『チャドルと生きる』(00)は反体制的な映画だとされ、2度にわたって逮捕された。それでも自宅で軟禁状態に置かれている様子をデジカメ撮影し、『これは映画ではない』(11)としてカンヌ映画祭で発表するなど、ものすごく気骨のある映画監督である。</p>

伝説のプロデューサーと新鋭監督がガチゲンカ!! アウトロー映画『ろくでなし』に漂う不穏な熱気

伝説のプロデューサーと新鋭監督がガチゲンカ!! アウトロー映画『ろくでなし』に漂う不穏な熱気の画像1
大西信満と渋川清彦のダブル主演作『ろくでなし』。映画の完成後、奥田庸介監督と山本政志プロデューサーは完全決裂した。

 ザラザラと乾いた肌感触。口の中を切ったときに感じる、あの血の味わい。北野武監督の初監督&主演作『その男、凶暴につき』(89)を初めて観たときの衝撃が忘れられない。ザラついた肌触りと血の味は本来なら不快なもののはずなのに、北野監督の処女作にはそれが甘い陶酔感に感じられた。同じような感触を、ヤン・イクチュン監督の長編デビュー作『息もできない』(08)やニコラス・ウィンディング・レフン監督のハリウッド進出作『ドライヴ』(11)を観たときにも感じた。どの作品の主人公たちも現実社会に苛立ち、ふとしたことで溜め込んでいた感情を暴力という形で炸裂させる。歩く不発弾のような危ない男たちだ。奥田庸介監督の新作『ろくでなし』も、いつ爆発するか分からない不発弾を抱えて生きる男たちのザラザラとした肌触りと血の味を感じさせるドラマとなっている。

 物語の舞台は現代の渋谷。新潟の刑務所を出てきたばかりの一真(大西信満)は流れるようにして東京に辿り着いた。建設現場で働くも、長くは続かない。そんなとき、夜の渋谷で見かけた女・優子(遠藤祐美)を一方的に“運命の女”と思い込み、優子の勤めるダンスクラブへ。クラブでガンを飛ばしてきた若者相手に大立ち回りを演じる一真だったが、その腕っぷしの強さを買われてクラブのオーナー・遠山(大和田獏)の用心棒として雇われる。裏社会の住人でもある遠山は頭のネジが数本外れており、遠山が撲殺した裏社会の顔役の死体を兄貴分・ひろし(渋川清彦)と共に処理することに。暴力まみれの生活を送る一真だが、その一方では優子への想いを募らせ、彼女の帰り道を追ってアパートまで付いていくようになる。だが、一真にとっての“運命の女”優子は男関係や金銭問題など様々なトラブルを抱えている女だった──。

 無口な男・一真は、若松孝二監督の反戦映画『キャタピラー』(10)で手足を失った芋虫男を、大森立嗣監督の官能作『さよなら渓谷』(13)で真木よう子を相手に大胆な濡れ場を演じた大西信満。一真と同じ新潟の刑務所出身という自慢できない“同窓生”ひろしに『お盆の弟』(15)と『下衆の愛』(16)で売れない映画監督を哀愁たっぷりに演じた渋川清彦。オーディションでヒロイン・優子に抜擢された遠藤祐美は、薄幸系女優と呼ばれた麻生久美子をさらに幸薄そうにした雰囲気が本作によく合っている。ひろしの舎弟・由紀夫を演じた『ケンとカズ』(16)の毎熊克哉、優子の妹・幸子を演じた上原実矩も、みんな不機嫌そうな面構えだ。ままならない現実に苛つきながら生きている。でも、あまりに不満を呑み込みすぎると、クラブのオーナー・遠山(大和田獏が怪演!)のような狂人になりかねない。そうならないよう、彼らは不器用ながらも自分たちなりの幸せを掴もうと懸命にもがき続けている。

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どうしようもなくダメ男を引き寄せてしまうオーラの持ち主・優子には、「シネマ☆インパクト」参加者の遠藤祐美が選ばれた。

 人気コミックの実写化が花盛りの日本映画界において、そんなブームなんて知ったこっちゃねぇと泥くさいオリジナルのアウトロー映画を撮り上げたのが奥田庸介監督だ。1986年生まれの奥田監督はこれが長編3本目となる。クラウドファンディングで資金を調達した前作『クズとブスとゲス』(16)は「この映画が撮れれば死んでもいい」という奥田監督の気迫がこもった規格外の逸品だった。『クズとブスのゲス』の酒場のシーンで、主演も兼ねていた奥田監督はスキンヘッド状態の頭で本物のビール瓶をカチ割るという狂気のアドリブ演技を見せた。そのシーンを撮り終えた後はもちろん病院行きとなっている。

 そんな奥田監督の変人ぶりを気に入ったのが山本政志プロデューサー。山本政志プロデューサーは実践型ワークショップ「シネマ☆インパクト」を主宰し、ワークショップ受講者たちをメインキャストにした大根仁監督の『恋の渦』(13)などのヒット作を生み出している。また、監督作『闇のカーニバル』(82)や『ロビンソンの庭』(87)といったインディーズ作品で海外にも名を馳せた伝説的な映画人である。新興宗教を題材にした『水の音を聞く』(14)でも監督としての健在ぶりを示した。強烈な個性を持つ2人がタッグを組んで企画がスタートしたのが『ろくでなし』だった。ところがボルテージの高い者同士の顔合わせは、あまりにも危険すぎた。脚本段階で両者は大ゲンカとなってしまう。2016年の夏、『クズとブスとゲス』の公開前に奥田監督を取材した際、奥田監督が携帯電話で激しい口論を始めたので驚いたが、その相手が山本政志プロデューサーだった。

 奥田監督と山本政志プロデューサーとの間に生じた軋轢は深刻で、クランクイン直前を控え、撮影中止にするかどうかという瀬戸際まで行っていた。映画が完成した今も2人は和解しておらず、そこで『公開大討論会!「おい、ろくでなし!今夜、決着つけようじゃないか」』(4月2日、渋谷ユーロライブ)が開かれた。両者が激昂してつかみ合いにならないよう、キックボクシングの元世界王者・小林さとし氏がステージ上で立ち会い、『ろくでなし』を上映するユーロスペースの支配人・北條誠人氏が司会進行を務めるというもの。このときの両者の殺伐としたやりとりを聞くと、奥田監督の書き上げた脚本の初稿に山本政志プロデューサーは納得できず、改稿したことがケンカの発端だった。自分の脚本に手を入れられたことが奥田監督は気に入らず、両者の間に溝が生じてしまった。山本政志プロデューサーにしてみれば、「街を舞台にし、情感は排したものにしようと打ち合わせていたのに、情感の部分が守られていなかった」ので修正した。また、奥田監督が撮影現場で初稿に戻そうとするのが許せなかったという。奥田監督いわく「現場で自由に撮れないのなら監督である意味がない」「プロデューサーという上からの立場で言われるので、打ち合わせになっていなかった」とのこと。山本政志プロデューサーがアウトローものとしてのリアリティーを高めるために、本職の方たちを現場に招いていたことも、奥田監督との距離を生む要因となったようだ。結局、山本政志プロデューサーはプロデューサーという肩書きではなく、アソシエイトプロデューサーとしてクレジットされている。

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『ケンとカズ』(16)のドラッグディーラー役で注目された毎熊克哉。出番は多くないが、観客の印象に残る美味しい役だ。

 公開討論は最後まで平行線のまま、お互いに一歩も歩み寄ることなく決裂した形で終わりを告げた。個性が強すぎるクリエイター同士のケンカはガチだったことだけは、成り行きを見守っていた観客にもひしひしと伝わった。ろくでもない討論会だったわけだが、両者が火花を散らしながら完成させた『ろくでなし』がダメな映画かというと全然そんなことはない。撮影裏の不穏な空気をはらみつつも、キャスト陣はベストの演技、いやベスト以上の演技を見せている。監督が100%自由に撮りたいものを撮ることが許された恵まれた現場で傑作が生まれるかというと、必ずしもそうでない。その逆も然りということだ。

 作品としては欠点を持っていても、堪らなく魅力的なシーンや役者が瞬間的に放った輝きが脳裏に焼き付く映画もある。今回の『ろくでなし』でいえば、ラブホテルで枕営業をしようとしていた優子の前に一真が立ちはだかり、路地裏でお互いボコボコに殴り合う長回しシーンが忘れられない。それぞれの感情が爆発するこのシーンを撮る瞬間、監督とプロデューサーの軋轢など舞台裏のトラブルはいっさい関係なく、役に没頭した2人が共に殴り合うことで、そこに愛らしきものがあることが浮かび上がってくる。痛くて、無様で、かっこ悪くて、でも放っておくことができない愛しい映画。それが『ろくでなし』だ。監督とプロデューサーはケンカ別れしてしまったが、その分観客に愛される映画になってほしい。
(文=長野辰次)

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『ろくでなし』
監督/奥田庸介 プロデューサー/村岡伸一郎 アソシエイトプロデューサー/山本政志、松本治朗
出演/大西信満、渋川清彦、遠藤祐美、上原実矩、毎熊克哉、大和田獏
配給/C・C・P 4月15日(土)より渋谷ユーロスペース、新宿K’s cinemaにてロードショー
(c)Continental Circus Pictures
https://www.rokudenashi.site


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恋愛において“ナカメ作戦”は果たして有効か? 星野源主演の劇場アニメ『夜は短し歩けよ乙女』

<p> 純愛とストーカー行為は紙一重の違いであり、相手に受け入れられれば運命の恋として成就し、拒絶されれば変質者、もしくは犯罪者の烙印を押されることになる。日夜SMプレイに励んでいた熱愛カップルの場合、どちらか一方の恋愛感情が萎えてしまうと、その途端にSMプレイは忌わしいドメスティックバイオレンスと化してしまう。この世で恋愛ほど不条理なものはない。それでも、世の多くの人たちはそんな不条理な状況に自分が陥ることを願ってやまない。森見登美彦の人気小説を湯浅政明監督が劇場アニメーション化した『夜は短し歩けよ乙女』は、思い出すだけで恥ずかしさのあまり身悶えしてしまう、一方通行な恋愛あるあるストーリーが描かれている。</p>

<p> 舞台は森見作品でおなじみの京都。原作小説の装画にもなっている中村佑介が描いた、ちょっとレトロな雰囲気を漂わせた美少女・黒髪の乙女(声:花澤香菜)が夜の京都をずんずんと歩き通す。大学で同じサークルに所属する先輩(声:星野源)は、そんな乙女に出逢ったときから一方的に想いを寄せ、“ナカメ作戦”を実行中だ。ナカメ作戦とは「なるべく彼女の目にとまるようにする作戦」のコードネーム。木屋町で開かれた春の宴会では、ひとり夜の先斗町へと繰り出していく乙女の後を追い掛けるも、次々と邪魔が入って思うように乙女に近づけない。下鴨神社で開かれる「下鴨納涼古本まつり」に乙女が出掛けるという情報をキャッチすれば、乙女がお目当ての本に手を伸ばした瞬間に自分も手を出し、紳士的に乙女に譲るという姑息な手段を考える。さらに秋の学園祭では、野外演劇の舞台に急遽出演することになった乙女の相手役の座を狙って野獣のように目を光らせる。すべては偶然を装って、自分こそが運命の男だと乙女の潜在意識に訴え掛けるためである。そんな先輩の苦労を乙女は露知らず、「また逢いましたね」とニコッと笑って、ずんずんずんと歩き去っていく。</p>

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